日経ソフトウエア 2023年1月号

2022年11月24日発売の「日経ソフトウエア 2023年1月号」で2件ほど記事を書かせて頂きました。

・特集、将棋アプリを作ろう。

・連載、IoT時代の電子工作 第7回目。

 

将棋アプリはPythonで作りました。

 

「IoT時代の電子工作」はオーソドックスなLEDの点灯/消灯のやり方を紹介しています。Raspberry Pi Picoを使いました。本当はRaspberry Pi Zero 2 Wを使いたかったのですが、どこにも売っていません。

 

Wi-Fiモジュールとして、ESP32を使ってみました。一番右側がESP32-WROOM-32Eで、右から二番目がESP32-WROOM-32Dです。末尾が「E」の方が新しくて、バグが修正されているらしいのですが、普通に使うぶんには性能は同じです。

「ドルアーガの塔」の60面クリアの話

アーケード版「ドルアーガの塔1984年)」の全60面クリアを達成したスコアラーについてメディアはどう伝えたのか。自分が知っている範囲で、次の6つの情報源があります。

(A)1984年8月末、「アミューズメントライフNo.21」の「全国のハイスコア速報」

(B)1984年9月8日、「ログイン1984年10月号」の「ビデオゲーム通信」

(C)1984年9月10日、「マイコンBASIC Magazine 1984年10月号」の「チャレンジ!ハイスコア」

(D)1989年12月、「別冊宝島 おたくの本」の成沢大輔さんの記事

(E)2001年x月、2ちゃんねる遠藤雅伸さんの書き込み

(F)2020年05月、BEEPでの響あきらさんの記事

時系列順に並んでいます。これらの情報はバラバラで、整合性が取れません。

何が真実なのか? 誰が一番なのか? を語り出すと荒れそうな予感がするので、今回は情報を列挙するだけに留めます。

 

情報源A。1984年8月末日発売、「アミューズメントライフNo.21」(奥付けは10月1日発行)。配慮して、無関係な方の実名は消しました。

1984年8月1日の時点でゲームブティック高田馬場店にて「CHU他4名」さんが60面クリアを達成しています。「CHU他4名」というのは、「5人で1チーム」という意味でしょうか? それとも、「1人プレイのクリアが5回発生した」という意味でしょうか? ゲームセンターは実機の数が限られているので、いやでも他人のプレイを見ることになります。黙って攻略方法を盗むわけにもいかないので、自然と「情報を共有しましょう」って話になりそうな気がします。

ググった感じでは、「ドルアーガの塔」の稼働日は7月20日。ですが、それだと、12日目で全60面クリアしたということになります。ロケテストを考慮しても短すぎです。実は前倒しで稼働していたとか?

いろいろ謎が残ります。

(追記。「ドルアーガの塔」のロケテスト1984年5月5日から開始とのこと。どうやって日にちを特定したのか謎ですけど。 ドルアーガ ロケテスト - Twitter Search / Twitter

 

参考までに1984年8月10日発売、ベーマガ9月号の「チャレンジ!ハイスコア」です。60面クリアは10月号からなので、これはその途中です。全108店のうち「ドルアーガの塔」のスコアが掲載されたのは、3店だけ。「ドルアーガの塔」導入率は約2.7パーセント。全国一斉に攻略がスタートしたわけではありません。「ドルアーガの塔」はスコアを載せてもあまり意味がなさそうですが。

スコアラーに「FUL、CHU、YAJI」と書かれています。チームで攻略していたということでしょうか。「FUL」さんというのは、おそらく古田秀人さんです。「CHU」さんはAMライフ(情報源A)で60面クリア達成したCHUさんと同一人物だと思います。

 

情報源B。1984年9月8日発売、アスキーの「ログイン」1984年10月号。ドルアーガを6ページに渡って大特集。エンディングまでネタバレしています。この中で次の記述があります。

8月2日付けで、ついに古田秀人君らが60階をクリアーしたという情報が確認されている。

「古田秀人君『』」と書かれているので、プレイヤーは複数です。チームでクリアしたのか? 個人のクリアが複数件報告されたのか? なんとも判断がつきません。どのお店でクリアしたのか不明です。

 

情報源C。1984年9月10日発売、電波新聞社の「マイコンBASIC Magazine(ベーマガ1984年10月号」のスーパーソフトマガジンの「チャレンジ!ハイスコア」。集計日が書いていませんが、おそらく8月下旬です。

次の10店で60面クリアが報告されています。

古田秀人さん、黒田さん、北村さん(プレイシティキャロット一番街店)
FULさん(ゲームブティック高田馬場店)
・おおぼりさん(プレイシティキャロット烏山店)
・EXCHANGERさん(ゲームインJ&B)
・清水さん(プレイシティキャロット黒崎店)
・MASさん(長岡キャロットハウス)
・KETOSEさん(プレイシティキャロット伊勢佐木町店)
・深井さん(亀戸キャロットハウス)
・川野さん(プレイシティキャロット駒沢店)
・有田さん(プレイシティキャロット巣鴨店)

、、、フルネームの方は名前を削らせて頂きました。古田さんだけ例外です。

「おおぼり」さんは大堀(うる星あんず)さんの可能性があります。間違っていたら、すみません。印刷の状態が悪くて「おおぽり」とも読めます。当時、大堀さんは高校3年生です。

「EXCHANGER」さんはベーマガ1984年10月号からライターとしてデビューしています。

「古田秀人(FUL)」さんのお名前がプレイシティキャロット一番街店とゲームブティック高田馬場店にあります。どっちが先に60面クリアを達成したのでしょうか? 古田さんが8月1日に高田馬場店でクリア → 8月2日に一番街店でクリアならば、情報源A・Bの矛盾はありません。ただし、ベーマガだと高田馬場店は「FUL」さん1人だけが書かれていますが、AMライフ(情報源A)だと「CHU他4名」になっていて、人数が食い違ってます。

 

情報源D。1989年12月発行。「別冊宝島 おたくの本」の「ゲーマー超人伝説」という記事。のちに「おたくの誕生!!」として文庫化しています。著者は成沢大輔さん。

記事には、大学生6人のチームが20万円を費やして、約1か月で「ドルアーガの塔」の60面をクリアしたと書かれています。この情報、どこまで信用していいのやら。大堀さんが60面で画面をダンボールで隠したとかというゴシップもこの記事です。

 

druaga.to

情報源E。ファンサイト「『ドルアーガの塔』研究室」。2001年に遠藤雅伸さんが2ちゃんねるに書き込んだ内容が転載されています。次の書き込みがあります。

ドルアーガの塔を最初にクリアしたのは、古田秀人君という早稲田の学生さんでした。

 

www.beep-shop.com

情報源F。2020年に公開、BEEPのブログでの響あきらさんの記事。

当時、私はうる星あんず氏やFUL氏、EXCHANGER氏らとドルアーガの塔攻略チーム(後に、世界で初めて『ドルアーガの塔』をクリア)を組んでいました。

ここにも古田(FUL)さんのお名前が出てきます。念のため書いておくと、この時点ではまだ、古田さんはライターではありません。

 

ファミコン版「ドルアーガの塔(1985年)」のスタッフクレジットに古田さんのお名前があります。ゲームの腕前を見込んでの抜擢でしょうか。

イシターの復活(1986年)」のスタッフクレジットにも古田さんのお名前があります(MONSTER SETTING  HIDETO "DRUAGA" FUL)。

 

古田(FUL)さんはベーマガ1985年4月号~1987年2月号で、ライターとして活躍されました。活動期間は2年弱です。主にロードランナーの記事を担当されています。

・1985年4月号「ロードランナー2 バンゲリング帝国の逆襲」
・1985年5月号「ロードランナー2 バンゲリング帝国の逆襲」
・1985年12月号「ペーパーボーイ」「インディジョーンズ」「ガントレット
・1986年1月号「ロードランナー3 魔神の復活」
・1986年3月号「ロードランナー3 魔神の復活」「ガントレット
・1986年4月号「アーガス」
・1986年5月号「ダーウィン4078」
・1987年1月号「ロードランナー4 帝国からの脱出」
・1987年2月号「ロードランナー4 帝国からの脱出」

 

ベーマガ1988年4月号の「山下章のフリートークボード」の「創刊70号をふり返って」という記事で、山下章さんが古田(FUL)さんを紹介しています。

彼が通りすぎたゲーム・センターには、他人のハイスコアはひとつも残らないという伝説がある。

ベーマガの「チャレンジ!ハイスコア」を確認したところ、1988年12月号までは、古田さんのお名前を確認することができました。こうした超優秀な人材がベーマガの誌面を支えていたというわけです。

 

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ベーマガの歴史と大堀康祐さん

雑誌「マイコンBASIC Magazine(ベーマガ)」における大堀康祐(うる星あんず)さんのご活躍をまとめてみました。大堀さんといえば、付録の「スーパーソフトマガジン」の「マッピー」と「ゼビウス」の攻略記事が有名です。ベーマガ以外でのご活躍が多いので、そちらも紹介したいと思います。

 

大堀さんはベーマガよりも先に「アミューズメントライフ(AMライフ)」でデビューしています。「AMライフ」はアーケードゲーム等の娯楽全般を扱う雑誌。発行元はアミューズメントまたは、アミューズメントライフという会社です。

・1983年2月10日発売、「AMライフ」No.2。新製品コーナーで「ゼビウス」を紹介。本文には「圧倒的質感」「神秘感あふれる画面美」「従来のゲームにはなかったほどの、自由自在な動き」と伝えています。雑誌の巻末には、「ゼビウス」の広告を見開きで掲載。キャッチコピーは「プレイするたびに謎が深まり、エキゾチックにエキサイトする!!」。

・1983年3月中旬? ゲームセンターで「ゼビウス」稼働開始。

・1983年4月8日発売、「ログイン」1983年5月号に「THE MAKING OF XEVIOUS」を掲載。「ゼビウス」誕生の経緯を6ページに渡って紹介。開発チームの集合写真、開発機材(HP-64000)や基板の写真が気前よく載ってます。

 


・1983年4月10日発売、「AMライフ」No.4より。この号からゲームセンターのハイスコアを掲載開始。ベーマガの「チャレンジ!ハイスコア」より8か月ほど早い試みです。この記事内の「大堀祐康」「メゾン一刻」が大堀さんです。

「中鉄直彦」はゼビウス本の共著者、中金直彦さんだと思います。「ゼビウス」のスコアは1983年3月20日の集計時で911万6860点。ここから数日後に1千万点に達したと思います(正確には999万9990点)。別の号には「あんず」「あんずあめ」「うるせえあんず」というお名前があるのですが、それも大堀さんでしょうか?

・1983年4月初旬? 大堀さんがナムコ接触

・1983年4月中旬? ゼビウス本が完成。

 

・1983年5月10日発売「AMライフ」No.5より。「読者参加/ビデオゲームに挑戦中! ぼくら、ゲームどわいすき少年だもんね」に大堀さんと中金さん達が登場。本誌の読者がゲームセンターで腕前を披露するというコーナーです。これより一つ前の号(No.4)の「読者参加~」には田尻智さんが登場していました。

大堀さんは「うる星あんず」名義。顔出しNGなので、写真が一部イラストで塗りつぶされています。一方、中金さんは実名OK&顔出しOKという状態。この記事の中で、「ゼビウスの本」が紹介されています。

ゼビウスの本”は、ナムコの開発の人が、彼らだけにそおっと教えてくれた、ゼビウスの秘密のすべてが書いてあるマル秘必勝本なのだ。
ゼビウスのストーリー紹介から始まって、遊び方、キャラクターの解説、スペシャル・フラッグゾーンの捜し方、各エリアの攻撃方法など、とっても詳しく書いてあり、一冊を読破すれば、10000000点も夢ではないというシロモノ。
ゲームセンターへの持ち込みで販売中、問い合わせは、本誌編集部桧山宛へどうぞ。

この記事で、ゼビウス本が有名になります。「ゲームセンターへの持ち込み」だと書かれていますが、具体的には本をどうやって売っていたのでしょうか?

この後、どこかのタイミングで、ゼビウス本はゲームフリーク版に切り替わり、通販で買えるようになります。オリジナル版とゲームフリーク版は判型が違います。

・1983年6月10日発売、「AMライフ」No.6。中金さんが「ゼビウス」で1千万点を達成する様子を実況風に紹介しています。プレイ時間は5時間46分。過酷すぎます。この時点で1千万点プレイヤーは全国で約8人とのこと。この記事で大堀さんは「O君」として登場しています。

 

・1983年7月8日発売、「ログイン」1983年8月号より。「ビデオゲーム通信」にゲストとして大堀さん(うる星あんず)が登場。「スター・ゲームプレイヤー うる星あんず、MAPPYを語る」と題して、マッピーの攻略法を掲載しています。大堀さんについての紹介文は次の通り。

全25ページに渡る徹底解析マニュアル"ゼビウス1千万点への解法"をオフセット出版した。人は彼を「ゼビウス1千万点の男」と呼ぶ。

このオフセットという表現からすると、ゼビウス本は製本していたという意味でしょうか。オリジナル版? ゲームフリーク版?

この次の号(9月号)の「ビデオゲーム通信」のゲストは田尻智さんでした。田尻さんと大堀さんのニアミスが続きます。

 

・1983年10月8日発売、「ログイン」1983年11月号より。『少年は「ゼビウスの星」を見たか?』。遠藤雅伸さんの出演したイベントで「ゼビウス星」が存在するか? とファンが質問した件が紹介されています。「ゼビウス」ブームが過熱しすぎて、おかしな方向に進んでいます。

 

・1983年10月10日発売、ベーマガ1983年11月号。ここから付録として「スーパーソフトマガジン」が付きます。「MAPPY大解析」と題して、大堀(うる星あんず)さんが「マッピー」の攻略方法を掲載。自己紹介のページで、大堀さんは「マクドナルドに入っただけで停学になる」ような厳しい学校に通っていることが明かされています。当時、高校2年生。

ゼビウス本(ゲームフリーク版)の通販の案内も掲載されています。問い合わせ先は田尻さんです。ここでの題名は「Xevious 10000000 pts への解法」。

・1983年11月10日発売、ベーマガ1983年12月号。スーパーソフトマガジンにて「ゼビウス大解析PART1」を掲載。「ゼビウス」の基本的な遊び方、登場キャラクター、ストーリー等が載っています。

 

・1983年11月10日発売、「コンプティーク」創刊号より。ベーマガと全く同時期に「ゼビウス」の攻略方法を掲載しています。こちらは、中金直彦さんが登場。大堀さんは登場しません。

・1983年11月20日発売、「AMライフ」No.11。大堀さん(うる星あんず名義)による連載「あんずのおもしろレポート」第1回目を掲載。内容はアーケードゲームのTIPSを羅列したものです。

 

・1983年12月10日発売、ベーマガ1984年1月号のスーパーソフトマガジンより。「ゼビウス大解析PART2」。エリア1~8のマップを掲載。この号から「チャレンジ!ハイスコア」の連載が始まります。「ゼビウス」の項目には999万9990点の文字が並んでいます。当時、1千万点に達するには6時間くらい連続でプレイする必要がありました。ゲームセンター側からすると、まったく儲かりません。「ゼビウス」は人気と裏腹にゲームセンターから早く消え去ったと思います。

・1983年12月20日発売、「AMライフ」No.12。「あんずのおもしろレポート」連載2回目を掲載。前回同様、ゲームのTIPSを羅列しています。

 

1984年1月10日発売、ベーマガ1984年2月号のスーパーソフトマガジンより。「ゼビウス大解析PART3(最終回)」。エリア9~16のマップを掲載。遠藤雅伸さんのインタビュー記事が見どころ。

1984年1月20日発売、「AMライフ」No.13。「あんずのおもしろレポート」連載第3回目を掲載。「スーパーゼビウス」発売希望の手紙をナムコに送ろうと呼びかけています。

1984年2月20日発売、「AMライフ」No.14。「あんずのおもしろレポート」連載第4回目を掲載。「超私的理由で、勝手にお休みさせていただきます」とのコメントで、突然の最終回。受験を控えての引退だと思います。

あと、本題からズレますが、1984年6月発売、「AMライフ」No.19に読者参加の座談会で響あきらさん、見城こうじさん、手塚一郎さんが登場しています。ベーマガでデビューするより1か月くらい早いです。

 

1985年8月発売、ファミコン版「ドルアーガの塔」。アーケード版から約1年後の移植です。上の写真は「ナムコットコレクション」。巻き戻し機能があるのが便利です。60面クリア後、スタッフクレジットに大堀さん(OHHORI)のお名前を確認することができます。

「GAME ANALYZER」って、具体的には何を担当されたのでしょうか? 「TEZUKA」「FURUTA」さんというお名前も凄く気になります。

 

角川の「マル勝ファミコン」1987年11月13日号(Vol.23)より。「コンプティーク」が熱心にファミコンネタを載せ続けて、そこから派生した雑誌です。マル勝は「○」の中に「勝」と書きます。大堀さんは「師範代大堀」として同誌にデビュー。文章から察するに、大堀さんは「ファミっ子大作戦」というテレビ番組に出演していたと思います。名人みたいな感じだったのでしょうか。

これより少し前の号ですが、「マル勝ファミコン」では山下章さんが「山下章パソコンゲームはこんなにすごいんだ!!」を連載していました(1987年2月13日号~1987年8月14日号)。パソコンゲームのソフトをファミコンユーザーに紹介するという記事でした。11月13日号の巻末を見ると、すでに連載が終わっているのに、山下さんのお名前が載ってます。

大堀さん・山下さんのコンビといえば、1988年4月に放送された「ドラクエIV予想」のTV番組が有名です。ベーマガ1988年5月号では、次のようなお知らせが掲載されました。

4月13日放送のTBS系「地球発19時・ドラクエIVを予想する!」に山下 章先生と伝説のうる星あんず先生が出演します。海外ロケを敢行してなかなか興味深い内容となっていますので、全国のみなさん、ぜひご覧になってください。

同年2月に「ドラクエIII」が大ヒット。その2か月後に「ドラクエIV」を予想するという番組でした。「マル勝ファミコン」では、この番組についての情報が掲載されていません。

放送された番組内のテロップは「うる星あんず」ではなく、「ゲームデザイナー 大堀康祐」でした。ついにゲームクリエイター宣言です。自分はリアルタイムで観ましたが、テロップが一瞬だったのでスルーしてしまいました。

 

「マル勝ファミコン」1988年5月13日号(Vol.9)より。クロスレビュー的なページで、大堀(師範代大堀)さんのプロフィールを公開。

「マル勝ファミコン」1988年5月27日-6月10日合併号(Vol.10)を最後に大堀さんは誌面から姿を消してしまいます。本誌での活動期間は半年でした。

 

1988年12月8日発売、ベーマガ1989年1月号より。山下章さんの連載「ホンキでPlay ホンネでReview!!」のゼビウス回(後編)。「あなたにとってのゼビウスとは?」と題して、大堀(うる星あんず)さんが寄稿しています。内容は以下の通り。

発売と同時に思い切りのめり込んだボクは、約一週間で一千万点に到達したのですが、その当時「ゼビウス」はもの珍しさこそあったものの、世間の人々からはそれほど受け入れられていませんでした。そこで、僕は、あの素晴らしい世界を多くのみなさんにわかってもらいたいと思い、『ゼビ本』の執筆をはじめたわけです。そのときに共著者の田尻クンの惜しみない協力があったことも忘れられません。田尻クンはボクにとって心の友ですよ。ホント。

略称は「ゼビ本」のようです。ゼビ本を作った動機(みんなに知って欲しい)、1千万点到達に費やした時間(約一週間)、個人的に一番知りたかった情報が、ここに全部書いてありました。

最後の田尻さんへの言及が不自然な気が。当時、田尻さんはJICCの「ファミコン必勝本」で「(田尻の)パックランドでつかまえて」を連載していました(1988年6月3日号~1989年5月19日号)。いわば自伝的小説です。この中で「ゼビウス」が上手い「一千万点の少年」が登場します。この名もなき少年は主人公(田尻さん)に非協力的だったり、「ドルアーガの塔」の60面で画面をダンボールで隠したり、完全に悪役です。ここだけなら、まあ、フィクションかな? で終わりなのですが、続きがあります。

1989年12月発行の「別冊宝島 おたくの本」の「ゲーマー超人伝説 異能戦士たちの聖戦!」で、大堀(うる星あんず)さんが「ドルアーガの塔」の60面をプレイ中、ダンボールで画面を隠したという話が出てきます。ギャラリーはテープレコーダーで対抗して、音だけでクリア方法を予想したとのこと。さすがに盛りすぎな気がします。悪い意味で宝島っぽい記事です。著者は成沢大輔さん。この本は、2000年に「おたくの誕生!!」という題名で文庫化しています。写真は無くなっていますが、文章はそのままです。

 

大堀さんに関連するソフトを紹介。

一本目は「機動戦士Ζガンダム ホットスクランブル(1986年)」。エンディングで「MAP MAKING」「YASUHIRO OHORI」と表示されます。

二本目は「サンリオカーニバル(1990年)」です。エンディングで「ゲームをかんがえた おにいさん」「おおほり やすひろ」と表示されます。

 

1992年10月発売。メガドライブ用の超大作アクションRPGランドストーカー ~皇帝の財宝~」。上の写真はメガドライブミニ。1992年11月発行の「THE MAKING OF LAND STALKER 天才プログラマー内藤寛の世界」という本によると、大堀さんは「マップ作成ほか担当」とのこと。「ほか」ってのが気になります。テーブル筐体の「ゼビウス」で遊んでいるクライマックス社員の写真が見どころ。

 

1997年発売、プレステ用の超大作アクションRPGアランドラ」。大堀さんが立ち上げた会社「マトリックス」が開発しています。シナリオ担当は手塚一郎さんです。現在、本作は初代PSアーカイブスでPS3で配信しています。

 

ベーマガ1999年2月号、200号記念のFinal Stageより。うる星あんず=大堀康祐さんであることが、ベーマガでようやく明かされました。

以上です。抜けてる情報はそのうち埋めていきたいと思います。

 

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日経クロステックのレトロゲーム機プログラミング記事

xtech.nikkei.com

以前、「日経ソフトウエア」に自分が執筆した記事が「日経クロステック」に連載形式で掲載されました(全5回)。

ファミコンゲームボーイPCエンジンメガドライブのプログラミング方法について広く浅く解説しています。ユーザー登録すると、タダで読めます。

 

リング オブ サイアス

1996年4月12日発売。プレステ用ゲーム「リング オブ サイアス」を遊んでみました。

開発はアテナ。CEROマークが無かった時代の作品。

 

広告はベーマガに計3回掲載されました。

コンセプトとシナリオを手塚一郎さんが担当。こうして、ライターさんが実際にゲームを作るというのは、素晴らしい試みです。遊んでみれば、その主張が正しいどうかが一発でわかります。

ベーマガ1996年3月号~4月号では、「シナリオ・ライターからの特別寄稿 リング オブ サイアス開発手記」と題して、手塚一郎さんが本作を2回に渡って紹介しています。前半は次のような感じです。

ゲームというものは、果たしてこのままでいいのだろうか。

(中略)

そこで、ゲームを創ることになったのです。

(中略)

これまでにさまざまなところで述べてきた、ゲームに対する自分の発言に、責任をとらなければならないからです。

、、、この「自分の発言」というのは、一体何なのでしょうか?

 

ゲーム本編はこんな感じ。海外小説の翻訳風なのが渋い。

メニューに答えると、ストーリーが分岐します。先の展開を選ぶという斬新な試み。

スペインで撮影した写真がたくさん出てくるのが見どころ。このスペインロケという方法論は、あの山下さん&大堀さんのドラクエIV予想を連想します。

メニューを20回くらい選択すると、エンディングです。プレイ時間はだいだい1時間くらい。

正解も不正解もありません。ゲームになっていない。開発手記によると、本作は"デジタル小説の新形態「ディレクション・ノベル」"とのこと。執筆したテキストは400字詰め原稿用紙で4000枚分。

11回ほどクリアしてみて、1、18、21、24、25、29、35、38、44という番号が出てきました。マルチエンディングの通し番号です。バラけるように頑張っても、2回同じ番号が出ました。全部のエンディングを出すのは、かなり難しいと思います。

システム的な不満がいくつか。目当ての分岐まで戻るということができません。最初から遊び直すと、同じテキストを読むはめになります。早送りもスキップもありません。

 

ベーマガ1996年5月号で、また「リング オブ サイアス」を紹介。「テキストAVGの傑作」と絶賛のコメント。

ベーマガ1996年7月号でも、またまた「リング オブ サイアス」を紹介。「コーナー名の誇りにかけてオススメします」と絶賛のコメント。

この記事で「おまけ」の存在が明かされています。

 

確認してみました。ゲームを10回クリアすると、メニューに「おまけ1」が追加されます。この感じからすると、「おまけ4」くらいまでありそうな、、、。

 

あと、「覇王マガジン」1996年8月号の「王立ゲーム大学」の第1回目に、手塚一郎さんのインタビューが載っています。見出しは大きく「70点の佳作より50点の意欲作」。グラフィックはホリー・ワーバートンの写真をイメージしているとか、企画がスタートしたきっかけは「夜光虫」の続編のシナリオを依頼されたことだったとか、重要な情報が語られています。

余談ですが、「王立ゲーム大学」の第3回目(最終回)は古代祐三さんでした。「覇王マガジン」は13回だけ出て休刊しています。

 

ベーマガにおける手塚一郎さんの偉大な業績をダイジェストで紹介します。

1984年、見城こうじさんと手塚一郎さんは同人誌「BGM」を編集部に売り込んだのをきっかけに、ライターとしてデビューします。

ベーマガ1984年8月号(スーパーソフトマガジン)の「ペーパーアドベンチャーコーナー」でお名前を確認することができます。「ペーパーアドベンチャー」は読者投稿に切り替わりましたが、「(C)手塚一郎」の文字は長く残り続けました。

1985年10月には「ALL ABOUT namco(ナムコゲームのすべて)」が大ヒット。手塚一郎さんは「ディグダグ」「ポールポジションII」「ドルアーガの塔」「ドラゴンバスター」などを担当。単独では「ドラゴンバスターの本(The Book of Dragon Buster)」も出されています(1987年1月24日発売)。

 

ユーズド・ゲームズ Vol.12 1999年・秋号」の特集(5インチディスクは永遠に)では、手塚一郎さんが1ページ寄稿しています。それによると、「ALL ABOUT namco」の原稿料でPC-8801mkIISRを購入、パソコンRPGの魅力に目覚めたとのこと。この記事の中では「ファンタジー」シリーズを大々的に推しています。

 

ベーマガ1986年5月号より。ファミコン版「グラディウス」のレポート記事。出来栄えを絶賛しつつも、ボスが少々ダサいとか、オプションが2つしか装備できないとか、上下スクロールがないとか、ツッコミ多数。すでに物言うライターとしての頭角を現しています。

 

ベーマガ1986年7月号より。「チャレンジ!ロールプレイング・ゲーム」の「ドラゴンクエスト」の紹介記事。

ファミコン初の非リアルタイム・バトルモードを持ったゲームということで、ボクは非常に注目している。リアルタイムゲームが主流なかで、はたしてユーザーに受け入れられるだろうか? もしこれが受け入れられてRPGのおもしろさがわかってもらえたとしたら、さらに多くのRPGが発売されるだろう。

1986年当時、ファミコンRPGは未開拓のジャンルでした。結果がどうなったのかはご存知の通りです。

 

ベーマガ1987年1月号より。「ファンタジー通信(ファン通)」を連載開始。

RPG(とくにファンタジー関係)のおもしろさを、もっと簡単に、そして楽しく理解できるような資料(小説、漫画、映画、ビデオなど)を紹介するページを(勝手に)作ってみた。

ファン通は、実際は趣味全開なコーナーです。「天使の卵」のオチを写真入りでネタバレしたり(1987年9月号)。ハガキによるTRPG(1988年1月号~)や、リレー小説(1990年4月号~)など、実験的な試みもありました。

お勧め本が「プロレスに捧げるバラード」だったり(1990年12月号)、ファンタジーから逸脱したこともありました。

 

年々、巨大化するファミコン市場。パソコン雑誌であるベーマガとは温度差が生じてしまいます。

1987年には、ファミコン版「ウィザードリィ」が発売。

1988年、JICC(宝島社)の「ファミコン必勝本」で「ウィザードリィ」の小説が連載されました。著者はベニー松山さん。これに続き、手塚一郎さんも小説家デビューを果たします。

 

(追記2022/10/10)1989年、「ファミコン必勝本」Vol.3~11に小説「最後の竜に捧げる歌」連載。オリジナル作品です。1989年7月20日、単行本発行。

 

1990年になると、「ファミコン必勝本」における小説や漫画は毎号4~5本に拡大。コーナー名は「FANTASY LAND」でした。このノベライズ/コミカライズのブームは一体何だったのか、よくわかりません。「ウィザードリィ」はプレイヤーの想像力を特に刺激するゲーム。そこから、ストーリーの需要が生じたのかもしれません。

1987年頃、JICCはパソコンゲームを題材としたゲームブックを手掛けていました(アドベンチャーノベルス)。作品群は「カーマイン」「帝王の涙」「アステカ」「ウィル」「ザ・スクリーマー」「夢幻の心臓II」「ウルティマI~IV」など。活字化するマーケットは当時からあったと思われます。

 

ファン通の別冊」についても紹介しておきます。

・1987年6月号「残りはいずれでるであろう「ファン通別冊」で書こうと思ってるんだ(リクエスト募集中!)」

・1987年11月号「この前、やっと入稿を開始しました。発売日は11月頃を目指してるのですが、遅筆なもんで……。」

・1988年1月号「ごめんなさい。ファン通別冊の発売日がまた少し延期します。」

・1988年5月号「5月発売が間に合うかどうか話題を呼んでいる。」

・1988年7月号「 えー、 5月発売予定だったファン通別冊は、まだ書店でみかけないことからもおわかりのように、もう少し遅れます。」「響あきらさんが、 6月中旬に留学のため渡米されます。(中略)別冊ができたら送ります。厳しい批評をお願いします。」

・1988年11月号「えーと、別冊の名称は「FANTASY & RPG」という少々韻を踏んだタイトルに決定しそうです。」

・1989年6月号「ファン通の別冊がすでに発売されていると勘ちがいされているかたもいるようでが、実は、まだ発売されていません。」

・1989年11月号「別冊発売近し!」

・1990年4月号「ファン通別冊のイラストはまだ受けつけているのですか」

、、、結局、別冊は幻に終わります。別冊を心待ちにしていた元読者さんにとって、「リング オブ サイアス」は最高のご褒美だと思います。

 

多忙のせいか、1991年あたりになると「ファンタジー通信」の制御が難しくなったと感じます。

1991年1月号~1991年3月号では、ファンタジーにおけるリアリティとか、「軽ファンタジー小説」に対しての読者からの意見を掲載。4~5月号が休載。1991年6月号で、なぜか「ロードス島戦記」への批判という話で再開します。休載が増え、1991年11月号で連載終了となりました。

ベーマガ1992年1月号の「FINAL STAGE」の手塚一郎さんのコメントは以下の通り。

今月もファン通をお休みすることになってしまいました。楽しみにしてくれていた人(いるかな?)本当にごめんなさい。

、、、あれから約30年が経過して、ファンタジーは変わったのでしょうか。マーケットは熟成。ジャンルは細分化しました。今でも「指輪物語」が映像化され、「ウイザードリィ」がSTEAMで売っていて、「ロードス島戦記」の新作が発表されています。この現象を見ると、根幹は変わってないという気がします。

 

ベーマガ1993年12月号より。手塚一郎さんによる「ルナティックドーン」の紹介記事。

受動的なゲームへの批判。ストーリー主導型RPGへの批判。映画コンプレックスへの批判。低レベルなアニメの批判。有名作品の二番煎じを出すメーカーへの批判など、気合の入った問題提起の数々。必見です。

ページの最後には「このゲームは“仕事”ではなかった。」との一文があります。すでに少数派となったパソコンRPG。それを応援するプレイヤーという立場で書かれています。これぞまさに、ベーマガイズム。

、、、もしかして、「リング オブ サイアス開発手記」における「自分の発言」というのは、これのことでしょうか。内容と照らし合わせると、いくつか合致します。

ストーリー性の否定。これをそのままの意味で受け取ると、ストーリー作家は失業です。「リング オブ サイアス」の場合、ストーリーの分岐を果てしなく増やすことで、解決を試みていますが、果たして成功しているのかどうか?

今現在、RPGオープンワールドが主流となり、複数のストーリーが進行できるようになりました。といっても、受動的な要素はそのままです。もし、ストーリーを捨てると、最初期のRPGに逆戻りです。もっと別のアプローチはないのでしょうか。最新技術で「ティル・ナ・ノーグ」を作ったら、どうなるのか興味があります。