ファミコン版Micro Magesを自作する

半年くらい前の話になりますが、「Micro Mages」を注文してから届くまでに数か月かかったことがあったのですが、その届くまでの間に「Micro Mages」のカートリッジを自作することを検討してました。

当時はNES版しか売っていませんでしたが、今はファミコン版が普通に売っていますので、こちらで買うことをおすすめします。

https://www.brokestudio.fr/product-category/famicom/

 

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NES版Micro Mages

Micro Magesは販売サイトで注文すると、特典としてROMイメージ(NESファイル)がダウンロードできるという仕組みです。ROMイメージのライセンスが明記されていないですが、同時に実行しなければ合法だと思います。カートリッジが届くまでエミュレータで遊ぶことができました。

ちなみにSTEAM版のMicro Magesを買ってもROMイメージを入手できます。STEAM版はカートリッジよりも安いです。

 

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CHR-ROMの取り付け場所

具体的にどうするか解説します。

Micro MagesのマッパーはMapper0(PRG-ROM 32KB / CHR-ROM 8KB)なので、「日経ソフトウエア」の雑誌掲載バージョンのカートリッジ基板がそのまま使えます。

赤ワクの部分にCHR用のフラッシュメモリ(CHR-ROM)を取り付けます。

 

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CHR-ROMを搭載

CHR-ROMを取り付けるとこうなります。プルダウン抵抗も忘れずに付けます。

フラッシュメモリの容量は1M/2M/4Mbitどれでもいいです。64kbit(8KB)しか使わないのがもったいない。

 

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CHR-ROM書き込み用の回路図

ここからが大変なのですが、CHR-ROM専用のフラッシュメモリライターを作ります。回路図はこんな感じです。

 

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CHR–ROM専用ライター(製作中)

基板を作っていないので、手作業で配線します。

 

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CHR-ROM専用ライターの完成

フラッシュメモリライターの完成です。見た目が良くないです。

 

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A13とA14を外部から接続

基板のカードエッジにはCHR-ROMのA14とA13が配線されていないので、ジャンパーワイヤーで接続した状態で書き込みます。ここで書き込むのは、NESファイルのCHR-ROM側の内容だけです。

PRG-ROM側の内容はPRG-ROMのフラッシュメモリに書き込みます。

NESファイルはヘッダ(16バイト)、PRG(32KB)、CHR(8KB)の順に格納されています。

 

あと、ミラーリング設定はHミラーリングです。PPUA11とVRAMA10を接続します。

 

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無事に動きました

問題なくMicro Magesが動きました。NESでもファミコンでも1つのROMイメージで動くのが不思議です。 

 

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ガワを付ける

ガワを付けるとこうなります。手間がかかるので、正規品を買うことをおすすめします。

MSXを作れ!!

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MSXを作れ!!」

MSXを作れ!!」(2015年)というKindle本を買ってみました。 自分はMSXパソコンを持ってないニワカですが。

本の目玉はビクターとヤマハMSXパソコンを開発した時のエピソード。エイプリルフールとオフ会とクイズは、どうでもいいですね。「マイクロソフト戦記」を引用してるだけのページは手抜きな気が、、、。

読んでいて「何かおかしい」と思ったら、本の内容が週刊アスキーの記事とまったく同じでした。これ、買わなくて良かったのでは。

この本って、文体がふざけてるというか、同人っぽいノリが引っかかります。一体どなたが書いているんでしょうか? 著者名「MSXアソシエーション」?

旧公式サイト(MSX ASSOCIATION)によると、「MSXアソシエーション」とはMSX公式エミュレータを作ったり、権利者と交渉する団体とのこと。ユーザーズグループではないみたいですね。MSXアソシエーションは過去にコナミMSXソフトのマニュアルを集めてましたが、Wii UMSXソフトに資料を活用したのかもしれません。

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Wii Uで遊べるスペースマンボウ(連射機能が欲しい!)

ちなみにWii Uの「スペースマンボウ(MSX2)」は絵も音も文句なしです。ですが、オート連射が欲しかった。開発はおそらくD4エンタープライズですね。D4エンタープライズPROJECT EGGで長年の実績があります。

今、MSXアソシエーションもMSXライセンシングコーポレーションもWebサイトがありません。窓口がないのに、どうやって交渉するのでしょうか。

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MSX Magazine永久保存版(2002年12月発売)

久々に本棚から「MSX MAGAZINE 永久保存版」(2002年12月発売)を引っ張り出してみました。この本の奥付にはMSXアソシエーションの12人のお名前が掲載されています。名前でググったら、いろいろ発見がありましたが、迷惑をかけそうなので触れずにおきます。

この本によると、

・1999年1月に西和彦さんがMSXのユーザーグループと会見

・2000年10月にMSXの公式エミュレータMSXPLAYer)の開発がスタート

・2002年2月にMSXアソシエーション設立

(1chipMSXの具体的な内容は「永久保存版3」まで載りません。)

という流れだそうです。この一連の活動を「MSXリバイバルプロジェクト」と呼ぶみたいです。最も難しい権利関係の問題を西さんがビル・ゲイツに直接話すことでクリアしたというのがドラマチックです。

MSX衰退&復活の歴史は古いです。「バックアップ活用テクニックPART25(1991年12月号)」の107ページ目には次のような記述があります。

MSXサークルの方々、MSXがこのまま衰退しないために一致団結して、MSX復活プロジェクト(略してMFP)を組みませんか?

これを書いた人は、誌面を私物化してMFPの宣伝を繰り返しました。その後、MFPは事業化され、雑誌「MSX・FAN1995年8月号」にMSX用ハードの広告を掲載。結果、商業的には失敗したようです。、、、思い切り脱線しました。念のためですが、MSXリバイバルプロジェクトはMSX復活プロジェクトとは別物です。

MSXリバイバルプロジェクト」のページは2001年2月公開ですね。ページは現在も見ることができます。このページを見て思ったのですが、、、まず「日本MSXユーザーグループ」とは何か? メンバー構成は? リーダーは? 同人の活動なのか? 主導権はアスキー? 報酬は発生していたのか? 2001年で更新が止まったのはなぜか?  いろいろと疑問が尽きないです。議事録が匿名で、無責任なことになってます。

MSXPLAYerはフリーのエミュレータである「fMSX」のソースコードを使っていますが、2002年2月の時点で作者のMaratさんから「盗作」呼ばわりされていました。本には「正式に許諾を得て」と書かれているので、問題はクリアできていると思います。intentを採用したのも謎ですね。intent版はWindows10で動かないので、永久保存版1のCD-ROMを持っているのに全てのゲームが遊べません。なんという生殺し。永久保存版3でintent不要のネイティブ版になったことを考えると、最初から「fMSX」そのままでよかったのでは。当然ながら、今現在、サポートは望めません。

同人のノリで商売すると危険ですね。これは自分にも言えるので、偉そうなこと言えません。肝に銘じておきたいです。

あと、「MSX Magazine永久保存版」には西さんのインタビューが4ページ載っています。2ちゃんねるのオフ会(2001年8月)では公式エミュレータオープンソースにするとか無償配布するという刺激的な発言があったのですが、計画が流れたのか、そういう情報も書かれていません。

2009年の中村伊智哉教授の記事によると、2001年に西さんと中村教授らはMITのメディアラボで教育用コンピュータを作る計画のプレゼンを行ったとのことです(http://www.ichiya.org/jpn/NikkeiNet/nikkeinet_090525_vol58.pdf)。このプレゼンにはMSXリバイバルプロジェクトのメンバーも一部参加していますので、西さんの目標はMSXで教育用コンピュータを作ることだったと考えられます。アスキーの問い合わせ先が「教育プロジェクト」だった理由はこれでは? 中村教授は、2005年にMITが発表した「100ドルPCプロジェクト」は自分たちの発表が元ネタだと主張しています。発表からのタイムラグがあるので、これは話半分ですね。100ドルPCプロジェクトは途絶えてしまいましたが、ラズベリーパイ財団が2020年に発売した「Raspberry Pi 400(値段が100ドル)」がその意思を受け継いでいるように思えます。そして、西さんが発表予定の「次世代MSXですが、発言から察するにラズパイを意識しているようです。

ちなみに2003年ごろ、西さんの会社でMSXを教材にするという試みが行われました(MSX-BASIC for Education)。これはWindowsMSXを動かすだけなので、導入のメリットがないように思えます。1chipMSXで実現したら流行ったかもしれません。

1chipMSXは2005年にアスキー「5000台の予約を達成したら商品化する」という謎ルールを提示しますが、注文が目標に届かず、計画が一旦終了します。2万円近いのに、MSX1相当でスロット1個ってスペックが足を引っ張ってますが、一気に5000台売ろうというのはハードル高すぎな気が。そもそも売れないからMSXは衰退したわけで。

その後、1chipMSXの計画をD4エンタープライズが引き継ぎます。値段ほぼそのままで、スペックを引き上げて(MSX2相当、2スロット)、2006年に販売されます。ここに開発陣のもの凄いドラマを感じます。Kindle本の次回作は「1chipMSXを作れ!!」でお願いしたいです。

今、教育界における大きなバブルが、政府主導のGIGAスクール構想です。学校で1人1台端末(パソコン/タブレット)を推進すべく、生徒1人あたり4.5万円の助成金を支給するそうです。20年経って西さんの発想に時代が追い付いた。しかし、今現在、1chipMSXは購入できませんし、4.5万円という金額を考えるとタブレットが一番妥当に思えます。

余談ですが、2020年にスペインのVIKALB PROGRAMMING社が「MSXVR Computer」というMSXパソコンを発売しました。これは中身がラズパイで、つまりMSXエミュですね。Hal研のPasocomMiniもラズパイですし、やはり、ラズパイはソリューションとして優れているなと実感します。ラズパイはハードのスペックが優れているだけではなく、流通も生産力も優れてて、結局、組織が優れているわけです。

このスペイン製MSXは初回ロットが2021年になってやっと発送されたようです。安定供給が難しく、次のロットは遅れるらしいです。どういうわけかスペインではMSXが盛り上がっていて、ほぼ毎年MSXDEVというイベントが開催されています。気になる方は「Spanish msx homebrew」とかで検索してみましょう。知らぬ間に海の向こうでMSXが復活してました。

日経ソフトウエア2021年3月号(ファミコン特集最終回)

2021年1月22日発売の雑誌「日経ソフトウエア2021年3月号」でファミコンで動くゲームを作ろう 第3部」「ゲームプログラミング質問箱 第2回」の2件の記事を書かせて頂きました。

今回でファミコン特集は最終回です。隔月の発行なので、完結まで4か月もかかってしまいました。ファミコンソフトのソースコードは雑誌の公式サイトで配布しています。

基板のCADデータはこちら。↓

sites.google.com

 

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読者プレゼント

読者プレゼントのカートリッジ基板です。動作チェック済みです。

 

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ファミコンのカートリッジ基板(日経ソフトウエア2021年3月号)

カートリッジ基板。この写真の状態が裏側です。目コピーで寸法を測ってます。挿し込む時、裏表を間違えないように注意しないといけません。事故が起きたら怖いので、念のためヒューズを付けてます。

この前に作った1号機はMMC1(Mapper1の特殊チップ)とバッテリバックアップRAMに対応できるように設計してありましたが、MMC1が入手できず作業が止まっています。中国製のチップは合法か不明なので怖くて買えません。

今回の雑誌掲載版(2号機)ではこれらの機能を削って、Mapper0専用にしました。サイズが6mm縮小しました。

このカートリッジ基板は通常と違ってCHR-RAMを採用しています。そのため、PRG-ROMの32KBのうちの8KBをキャラクタ用に使ってしまいます。容量をムダになってカッコ悪いのですが、作りやすさと使いやすさを優先しています。独自仕様なので、市販のゲームのROMイメージを書き込んだら動いてしまうということはありません。

 

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フラッシュメモリライター

カートリッジ基板にプログラムを書き込むためのライターです。ラズパイに接続して使います。個人的な趣味でPi STARTERを使って動かしています。
 


Famicom homebrew(日経ソフトウエア2021年3月号)

 

nicotakuya.hatenablog.com

福場龍夫さんの話

福場龍夫さんのことを書かなきゃ、と思って、もう13年経ってしまいました。どう書いていいかわからず、手が止まってました。結果、このページになりました。

自分が福場さんと知り合った時期はハッキリ思い出せないです。その昔、電波新聞社「新しい雑誌」の会議を何度も繰り返していて、そこでお知り合いになったと思います。2006年か2007年あたりかと思います。

会議は高確率でBCLの話題で盛り上がるのですが、自分は世代が違うので、よく置いてけぼりになりました。福場さんはワイヤレス式のハンダこてとか、軍用無線機をプッシュしてました。自分が「本気の電子工作」という本を引き合いに出したら、福場さんから「それ私が作った本ですよ」との返事がきて驚きました。

 

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福場さんの名刺

福場さんから頂いた名刺がこちら。会社名も肩書もありません。白いです。相当なバイク好きだったみたいで、メールアドレスがバイクの型番になってました。

 その「新しい雑誌」の企画と並行して、「電池の本」を出すという企画がありました。2008年1~2月あたりだったと思います。

 福場さんが編集で、 私が太陽電池と充電池の電子工作のパートの記事担当ということで、何度か私の家(会社)まで来てくれました。

 

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福場さんから頂いたHP200LX

だいたいが電話してから突然やってきて、長々と雑談するというパターン。たい焼きとか肉まんとかペット入りの温かいお茶とかを「差し入れです!」と明るい笑顔で持ってくる。

「小さいコンピュータを持ってるのですが、いりますか!」という話になって、HP200LXを頂いたこともあります。わりといい歳なのに、明るい、気前がいい、ノリが学生という印象でした。

  

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人から借りっぱなしのバッ活

雑談中、何かの拍子で、福場さんが「バックアップ活用テクニックという本を出していた」という話になって、自分が「ここにありますよ」とバッ活(人から借りっぱなしのやつ)を見せたら、「なんで持っているんですか!?」と驚いてくれたことがあります。この時の福場さんの心底嬉しそうな顔を覚えてます。 初代編集長だったのは後で知りました。

そして、2008年の2月ごろだったと思うのですが、事件が起きます。自分は電池の本の原稿を半分くらいを送っていた状態でした。福場さんが家まで打ち合わせに来てくれていました。自分がいつもどおり雑談でもしようかと思ったところで、福場さんが「あ、ごめんなさい」といって、会話が中断。

それから、福場さんが「朝から具合が悪くて。今日はすぐ帰ります。いやー、寝違えちゃってー、、、」と言いつつ、帰りました。この時、自分は、ああ具合が悪かったのか、というくらいの反応でした。その後、人づてに聞いたのは、福場さんがご病気で倒れられたということ。この件は思い出すことを拒否したり、思い出したりの繰り返しです。

あの時の福場さんはどうだったのか? 「寝違えちゃって」と重々しく言いながら首に手を当てている様子とか、いつもと全く違っていた場の雰囲気、深刻で暗い表情が、今も目に浮かびます。あの時の「寝違えた」というのは間違いだった。きっかけが自分の仕事だったと思うと、やりきれない。

福場さんたちと何度か会議を重ねていた「新しい雑誌」は、5か月くらい後に出来上がりました。「電子工作マガジン」です。

あと、「電池の本」の企画は編集を替えて、2008年の12月ごろに再開しましたが、自分の書いた原稿と作品は全部ボツになりました。

あとで、人づてに聞いた話では、その昔、福場さんは元は電波新聞社に居たが、いろいろあって三才ブックスに転職したとのこと。「いろいろあった」部分は触れませんが、移るきっかけは、BCLの神様的な存在だった山田耕嗣さんの紹介だったとのこと。

あの件以来、福場さんの業績はもっと知られるべきだ、と心に留めていました。 

偶然気が付いたのが、1994年発行の「バックアップ活用テクニック総集編パート2」「バッ活 創刊ウラ話」 という記事。これにバッ活の思い出話が4ページほど載っています。記事を書いたのは誌面で大々々活躍していた丹治佐一.さん(名前の最後に点を付ける)。バッ活は8年間で全38冊が発行されました。重要なのが、以下のくだり、、、

ここでバラしてしまいますが、編集F氏(現在では三才ブックスの中でとても偉い人になってしまった)と筆者とは、別の出版社からの付き合いで、現在(94年)で16年ほどにもなります。筆者の仲間と一緒に遊んでいる内に、 筆者と同じ町内に引っ越してきてしまったというほど、仕事を離れてのプライベートでの付き合いも多く、遊んでいるのか仕事をしているのか、時にわからなくなってしまいます。バカ話から生まれた企画も数多くあります。

ここで書かれている「F氏」とは福場さんのことで、「別の出版社」とは電波新聞社のこと。「偉い人」とは編集長よりも上のポストになっているという意味です。

丹治さんは秋葉原マイコンショップ「X1」に入り浸っていたところをスカウトされて、「ラジオの製作」の1979年6月号の特集でデビューしています。「16年」を「16年目」と解釈すると1979年になるので、掲載時期と一致します。これが、福場さんが電波新聞社で「ラジオの製作」の編集をやっていたという証拠になる、はず。

1980年当時、三才ブックスは雑誌「ラジオライフ」を出していました。ラジオライフは普通の雑誌でしたが、90年代あたりで盗聴とか偽造ネタを扱い始めてどんどんアングラ化します。今も売ってます。

以下のページで福場さんを確認できます。「ラジオライフ1981年11月号」の編集後記、、、

「ボク、新入社員のFです。」というわけで、汗をかきながら 編集後記を書いています。ところで、今月号の業務無線特集はいかがでしたか?!アマチュア無線のことしか知らなかったボクにとって、未知の電波との遭遇ともいえる業務無線の世界には、 驚きと冒険の連続です。特集を読まれた読者の皆さんが、ボクと同じ驚きを実体験していただければ幸いです。11月号より編集部員の一人となりましたのも無線というすばらしい趣味を持 つ者同志の縁といえましょう。全力をつくし、楽しい記事、耳よりな記事を編集していくつもりです。皆さまの応援のほど、よろしくお願いします。(F)

この新入社員「F」が福場さん。この時はイニシャルですが、1982年12月号から実名になります。1981年11月号(10月売り)ということは、入社時期は1981年9月あたりでしょうか?

編集後記の一番左上に福場さんが載るのが1983年9月号。これ以降、編集長になったと思います。それを裏付けるのが、ラジオライフ1985年1月号」の編集後記、、、

編集長が替わります。一昨年の夏この仕事につき、1年以上にたちます。短すぎるのではと思われるかも知れませんが、 RLのモットー”いつもフレッシュな情報を提供する”ためには、若返りも不可欠!!私よりン歳も若い甕岡部員へのタッチは次号からです。若々しく充実した記事をこれまで以上に楽しんで頂けると思います。つきましては、ご指導、ご鞭撻の程、お願いいたします。(福場

知らない間に編集長になって、もう交替のお知らせです。この後、バッ活の編集長になります

 

以上のことから、福場さんのお仕事をまとめてみました。

*抜けている部分はあとで足して、 間違いがあったら直したいと思います。

 

・~ 1981年?月:「ラジオの製作」の編集

・1981年9月あたり?~1984年末:「ラジオライフ」編集/編集長

・(1981年11月号~1983年8月号)「ラジオライフ」編集

・(1983年9月号~1985年1月号)「ラジオライフ」編集長

1984年11月発行:「魅惑の軍用無線機」編集。

・1985年7月15日発行~:「バックアップ活用テクニック1」編集長

 

あと、検索したら出てきた情報が、以下の通りです。

・1989年:「PC-9801(&PC-286)活用テクニック」編集。
・?:「PC-9801(&PC-286)活用テクニック2」編集。
・1990年:「PC-9801(&PC-98NOTE)活用テクニック3」編集。
・1990年:「PC-9801(&PC-98NOTE)活用テクニック4」編集。
・?:「PC-9801(&386NOTE A)活用テクニック5」編集。

・2006年:「本気の電子工作」編集、「インターネットをトラブルゼロでいつも快適に使う本」著者

 ・2007年:「新スピーカーの完全自作2」著者、「最新LED活用工作ガイド」著者

 

個人的に一番知りたいのは、ラ製付録だったベーマガ(1981年5月号~)に福場さんが関わっていたかどうかですが、どうなのでしょう?

福場さんの業績はもっと知られるべきだと思います。

 

 

 

イーロン・マスクさんの自作ゲーム

昔、イーロン・マスクさんが自作のゲームを雑誌に投稿したことがある。

5年前に出版された「Elon Musk:Tesla,SpaceX,and the Quest for a Fantastic Future」という本に書かれていて、世間ではよく知られているみたいです。

検索しても一杯出てきます。

archive.org

これによると、13歳の時(1984年)、「PC and Office Technology」という雑誌にゲームのソースが掲載されたとのこと。こんなゲームで遊んでいた少年がのちに億万長者になった、というのが夢がありすぎです

機種はスペクトラビデオの「SV-318」または「SV-328」。どちらか知りませんが、裕福だったので、おそらくSV-328ですね。イーロン・マスクさんはアメリカの大学に進むまで南アフリカにお住まいでしたが、そこでもSV-328は売っていたようです。

ソースを見ると、スプライトの命令があったり、ものすごく「MSX-BASIC」っぽいのですが、MSXではありません。

SV-328はMSXの原型になったパソコンです。

  

www.samdal.com

これによると、本体の製造はBondwellが担当。これは、設計も担当していたということでしょうか。Bondwellは自社ブランドのパソコンもいくつか出していて、1994年くらいまでは会社が存在していたようです。

BASICはマイクロソフト製。当時はBIOSもBASICも一体になっていました。BIOSの仕様はMSXとの完全な互換性はありません。

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openMSXはSV-328にも対応している(ROMが必要)

MSXエミュレータ「openMSX」の画面です。SV-328のROMがあったら動かせるみたいですが、持ってないので諦めました。

あと、上記のページに「1984年にスペクトラビデオがマイクロソフトにSV-328のハードウェア技術をライセンス供給(売った)」と書かれてます。MSXのハードがゼロから立ち上げたものではなく、他社製品の流用だったという事実。MS-DOS誕生の歴史みたいなことになってます。

時系列はこんな感じでしょうか。

・1983年1月 「SV-318」発表

・1983年6月 「SV-328」発表

・1983年6月 MSXの仕様を公開

1984年(?)  SV-328のハードのライセンス供給 

1984年後半 「SVI-728」発売(完全なMSX互換機)

このどこかで西和彦さんが「SV-328をMSXに使おう」と思い立つはずなのですが、どのタイミングでしょうか。MSX用にカスタマイズする時間が必要なので、SV-328の開発途中から計画していたことになります。

ライセンス供給が1984年だと、MSX発表の1983年とタイミングが合いません。記載のミスなのか、先走って計画を進めていたかのどちらかになります。

あと、SV-318はキーボードの形状がPC-6001とよく似てます。右側にあるジョイスティックは別ですが。スペックも似てるし、かなりPC-6001を意識して設計したのだと思います。

MSXって、PC-6001とスロットの仕様が同じだったり、ところどころPC-6001をパクってる感じが気になってましたが、 ここに来てその印象がさらに強まりました。