「GAME BASIC for SEGASATURN(1998年)」を買ってみました。これはセガサターンでBASICのプログラムが作れるというソフトです。
名前が長いので、「サターンBASIC」と呼ぶことにします。自分はサターンBASICを使うための知識がありません。公式サイトがなく、真っ暗闇からのスタートです。
買ったのは中古のディスクのみ。通信ケーブルと説明書が欠品しています。ディスクは全2枚。1枚はセガサターン用で、もう1枚はWindows95用。後者は16bitのexeファイルなのでWindows10では動きません。いきなり崖っぷち。
カーソルが点滅するだけ。
ゲームパッドが全く無反応です。
不良品か? ケーブルが無いとダメか?
しかし、ボタンを総当たりで押したら、R+L+STARTボタンでキーボードが出ることを発見。
説明書がないので、思いつくBASICのコマンドを片っ端から入力してみました。もう完全にアドベンチャーゲームです。
結果、「FILES"CD:」でファイルの一覧表示できることを発見。拡張子「B」がベーシックのソースです。
「LOAD"CD:LAUNCH.B」「RUN」で、ランチャーが動きました。
あとはもうこっちのもの。
「DEMO.B」を実行した様子です。
BASICでポリゴンが動くのが凄いですね。発売当時はインパクトあったと思います。
物理キーボード対応は嬉しい。どこで売っているのか。
キーボードと合体するとパソコンになるって発想は、まさにSG-1000。
「G_THESEU.B」を実行した様子。「テセウス」。オリジナルはMSX用としてアスキーから発売。オリジナル版作者の三橋さんが移植してます。
プログラムをいじって無敵にしたんですが、閉じ込められました。手ごわい。
「テセウス」のプログラムを覗いてみました。
スタッフクレジットにAKIRA(滝口彰)さん、MITSU(三橋正邦)さんの名前があります。五代響さんの名前がありませんが、BGMを「ファイヤーホーク」のミッション7に差し替えたためだと思います。
リストにある「PART II」というのはアスキーのAXシリーズの開発時に寝泊りしていた一軒家のあだ名だそうです(「OLION ULTIMANIA」の情報)。内輪ネタ。
「S_G_ARTS.B」を実行すると、ゲームアーツの名曲を再生することができます。
実行中、画面には交互に「Motoyuki Kanayama」さんと「Naozumi Honma」さんというお名前が横切ります。後者はサターンBASICのサウンド機能を担当した本間直純さんです。「ゼリアード」ではサブプログラマーを担当。ゲームアーツのOBです。
その昔、本間さんは「走れ!スカイライン」をPC-8801mkIISRに移植して、月刊I/O 1986年2月号に掲載。市販の「ザ・コックピット」のPC-8801mkIISR版(FM音源対応)への移植も担当されていて、タイトル画面でお名前を確認することができます。
ゲームアーツ在籍時、本間さんは「ヴェイグス」の企画/ディレクター/メインプログラマーとして大活躍。ベーマガ1989年5月号には「ヴェイグス」のプログラマー「本間氏」として登場。エンディングでは「NAO MORIKUMA」とクレジットされています。
その後、メガドライブの「アリシア・ドラグーン(1992年)」と「LUNAR エターナル・ブルー(1994年)」ではメインプログラマーを担当。ビッツ・ラボラトリーに移られてからは、サターンBASICの開発などに関わられています。その後、Sofartsを立ち上げて、ゲームアーツの「鄭問之三國誌(2001年)」では助っ人としてサブプログラマーを担当したのことです。
以上の情報は、SofartsのArchiveを参考にしました。
サターンBASICのディスクをパソコンでマウントして、「STAFF.TXT」を開くと、開発スタッフの全員のお名前を見ることができます。
これは個人情報なので、最初の部分だけ紹介します。
サターンBASICのプロデューサーは杉山イチロウさん。「トゥルー・ラブストーリー(1996年)」「キミキス(2006年)」「アマガミ(2009年)」などを手掛けている方です。恋愛シミュレーションゲーム界の大御所。これら一連の作品は全部ビッツ・ラボラトリーが関わっています。
サターンBASICの企画/ディレクターは宮崎暁(さとし)さん。宮崎さんは学生時代からアルバイトとしてアスキーで働き、仲間と共にビッツ・ラボラトリーを立ち上げています。ゲームアーツと似た境遇です。ファミコン版「テグザー(1985年)」はビッツ・ラボラトリーが開発しています(ゲームアーツ池田さんも協力)。ビッツ・ラボラトリーは移植の実績が多数あります。PCエンジン版の「アフターバーナーII」でも宮崎さんのお名前を確認することができます。アフターバーナーIIのプログラマーとサターンBASICのインタプリタのプログラマーは同じ方です。
推測ですが、アスキーの書籍「MSXポケットバンク」シリーズの「BITS」名義の3冊は宮崎さんが関わっていると思います。「MSX2テクニカル・ハンドブック(1986年)」の執筆陣の一人が宮崎さんです。
巻末の著者紹介で『「たわらくん」「サンダーボール」など、多くのMSX用ソフトの開発に携わる。』と書かれています。
「たわらくん」って何だっけ? と思ったら、「MSX Magazine永久保存版」に収録されていました。タイトル画面で宮崎さん(S.MIYAZAKI)のお名前を確認することができます。学生の頃にこれを作ったと思われます。スキル高すぎです。
「でべろマガジン Vol.2(1997年)」に掲載された「BASIC for SEGA SATURN」の広告です。この幻のソフトを「旧サターンBASIC」と呼ぶことにします。旧サターンBASICはESP(エンターテインメント・ソフトウェア・パブリッシング)と徳間書店インターメディアで販売する予定でした。2社の関係が不明ですが、問い合わせ先はESPでした。発売は1997年3月の予定。
旧サターンBASICの商品構成は「スタンドアロン版(9800円)」「接続版(1万2800円)」の2種類で、通信ケーブルが付属しない/付属するという違いがあります。現サターンBASICにはスタンドアロン版は存在しません。
「でべろマガジン Vol.1(1996年)」には旧サターンBASICに関するインタビューが全2ページ掲載されています。登場するのが、プロデューサーのゲームアーツの宮路洋一さんと、企画/開発担当のビッツ・ラボラトリーの宮崎暁さんです。
開発のきっかけは宮崎暁さんが次のように語っています(でべろマガジン Vol.1 P14より引用)。
もともと何年も前から、こういう新しい機械で言語を作ったら面白いだろうなと考えていたのですが、 今一番思っているのは、クリエイターとしてついてくる人間が少ないのと、少ないにもかかわらず使える機械さえ用意されてないという…。ずっと前から思い続けていたのですが、これがきっかけとなりました。
それをたまたま (ゲームアーツの) 宮路氏と飲んでる席で話したらお互いに意気投合して、規格とか技術的なことを進めていったというのがスタートになります。
この並外れた行動力。インタビューは続きがあって、その中で5回くらい「MSX」っていうフレーズが出てきます。やはり、MSXへのリスペクトを感じます。
ベーマガ1996年12月号では旧サターンBASICを「特報」として掲載。そして、1997年1月号~7月号では「BASIC for SEGASATURNプログラミング道場」を全7回掲載しました。発売前なのに、この期待の大きさ。
徳間書店インターメディアの雑誌「SATURN FAN」も1997年4月25日号から「BASIC for SEGASATURN入門講座」を連載しました。
1997年のどこかのタイミングで、旧サターンBASICの発売が中止になったと予想されますが、詳しい情報が不足しています。
仕切り直しの後、サターンBASICは1998年6月にアスキーから発売。先に紹介した「STAFF.TXT」には宮路洋一さんのお名前はありません。
ベーマガ1998年8月号からサターンBASICの連載が再スタートします。連載は1999年5月号まで続きました。全10回でした。
すでに1998年5月にはドリームキャストの情報が発表され、セガの自虐TVCMも追い討ちをかけます。ドリームキャストは1998年11月発売。アスキーでは「TECH SATURN」が1997年10月号で休刊していました。逆風につぐ逆風。
ベーマガには、サターンBASICの投稿作品がいくつか掲載されました。しかし、あまり盛り上がらずにフェードアウトしてしまいました。
諸行無常。もっと、サターンBASICの資料が欲しいところです。
先に紹介した本間さんはサターンBASICへの思い入れが強かったようで、担当したサウンドマニュアルをご自身のサイトで長らく公開していました。サウンドマニュアルはArchiveで読むことができます。
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