NECアベニューの話

マイコンソフトのPC-8801版「パックマン」ですが、過去にプログラムリストを雑誌に掲載したことがあります。掲載先は月刊「マイコン」1985年2月号。このPC-8801版「パックマン」を作ったのが、多部田俊雄さんでした。月刊「マイコン」はベーマガの兄貴的な雑誌です。

題名は「あなたもナムコゲーム・プログラムに挑戦 ゲーム作りのサブルーチン&(秘)テクニック大公開」。長いので「ナムコ特集」と呼ぶことにします。

目次は以下の通りです。

《I 基礎編》
PAC-MAN作成のためのツール&サブルーチン集(多部田俊雄さん)
PC-8801用キャラクタ作成ツール「CHIEmkII」

《II テクニック編》 マイコンソフトNAMCOオリジナル・ゲームシリーズ プログラムテクニック大公開!! 

・(1)X1/C/D/turbo ゼビウスアンドアジェネシスのスクロール法、(藤岡忠=なにわさん)

・(2)FM-7/77 RALLY-Xの追いかけルーチン(林俊彦さん)

・(3)MZ-1500 DigDugの岩おとし(米子MZマイコンクラブ迎霧狼慢=YMCATさん)

・(4)MZ-1500 MAPPYのトランポリンテクニック(米子MZマイコンクラブ迎霧狼慢=YMCATさん)

・(5)PC-8801/mkII PAC-MANのグラフィック・テクニック(多部田俊雄さん)

《III 活用編》
PC-8801/mkII 「PAC-MAN」 PROGRAM ARRANGED by 多部田俊雄

(ここにパックマンのプログラムリストを掲載)

、、、以上。

超豪華な執筆陣。なお、この「パックマン」ですが、コーヒーブレイクがなく、ステージが8面まで。製品版から機能を削ったという残念なオチが付いてました。

多部田さんは、月刊マイコンでスタープログラマ。アイドル的な、独自の地位を確立していました。

同じ1985年2月号では多部田さんがカラーで顔出しまでして、女子大生とパソコンで遊んでいるだけのページが載っています。

 

月刊「マイコン」1985年3月号より。

多部田さんが連載していた「メジャーなゲーム作家になるために」というエッセイです。独特のウケを狙った文体。ゲーム業界で成り上がる方法が書かれています。

多部田さんをモデルにした漫画「がんばれ!タベタ君」もこの時期に掲載されます。漫画を描いていたのは松田浩二さんです。

 

月刊「マイコン」1986年11月号より。

エレクトロニクスショー'86」でX68000が参考出展されたという歴史的な記事ですが、ここにも多部田さんが「タベタ君」として登場します。もう、完全にキャラクター化しています。

この後、多部田さんは1987年4月にNECホームエレクトロニクスに入社。さらに、NECアベニューへ異動します。NECアベニューはCDなどを手掛ける新会社(1987年10月創立)。ここで、ニューメディア事業を指揮します。

PC Engine FAN」1988年12月号の記事によると、NECアベニューは外部の5~6社の協力を得て、年間15本のゲームソフトを生産可能だと紹介されています。現実には達成できなかったわけですが、恐るべきチャレンジ精神です。

 

ベーマガ1989年1月号より。

PCエンジン版「スぺースハリアー」の広告。多部田さんと松田さんを確認できます。

 

PCエンジンmini(2020年)に収録されている海外版「スペースハリアー(1988年)」。

スタッフロールによると、プログラム担当は紅林俊彦さん。グラフィックは紅林さんと松島徹さん。SPECIAL THANKSとして、なにわさんと多部田さんのお名前がありました。最後に「DEMPA MICOM SOFT」と出ます。

 

先に紹介したナムコ特集にも、紅林俊彦さんのお名前があります(FM-7ラリーXの作者)。紅林さんは他にもPCエンジン版「アウトラン」を作られています。ちなみに「アウトラン」のディレクターは松田浩二さんです。

 

本題と関係ないですけど、このテストプレイヤーの「A.YAMASHITA」って、山下章さんでしょうか? 勘違いならすみません。

 

ベーマガ1989年3月号より。「感動 ほとんど そのまんま」。

タベタ君(としか思えない)がNECアベニューの広告に登場。月刊マイコン読者はさぞ驚いたはず。

 

ベーマガ1990年3月号より。

PCエンジン CD-ROM2用「スーパーダライアス(1990年)」の広告。この他、チャレンジ!PCエンジンのコーナーで1ページ紹介されました。

当時、PCエンジンはマルチメディア市場を独占。メガCDの登場より2年ほど先行していました。しかし、問題は値段。PCエンジンのCD-ROMドライブ類の価格は57000円オーバー。これに本体が加わると、8万円を超えてしまいます。これ買える人いるのか?と心配になるくらいのハードです。その専用ソフトとして「スーパーダライアス」が発売されたことは一つの事件でした。

CD-ROM2版が1990年3月に発売、Huカード版の「ダライアス プラス」が1990年9月に発売されました。非売品の「ダライアス アルファ」は超超プレミアソフトと化しています。

ダライアスを移植するという、あまりにも無謀なチャレンジ。ダライアスは背景を2枚重ねで表示する必要があり、PCエンジンはBG1枚しかありません。これは無理ってなりそうですが、手前の背景を全部スプライトにすることで、強引に解決しています。逆にボス戦は背景同士が重なっていないので、ラスタースクロールで済みます。

 

PCエンジンminiに収録されてる「スーパーダライアス」。

標準装備のゲームパッドはボタンが固いし、連射機能がないし、こんなの遊べないじゃないか思ったのですが、手が痛いのを我慢して連射したら、どうにかこうにかクリアできました。

スタッフロールに多部田俊雄さんと松田浩二さんの名前を発見。

プログラマは計4名で、うち一人はビッツラボラトリーの清水真佐志(MASAS)さん。清水さんは「ファンタジーゾーン」「スプラッシュレイク」、他多数のプログラムも手掛けられています。

 

山本直人さんのお名前も発見。「PC Engine FAN」つながりでしょうか。

PC Engine FAN」では1年以上に渡って、ダライアス関連の情報を熱心に載せ続けました。発売まで仕様や発売日が何度も変わりました。

 

ビッツラボラトリーが開発した「アフターバーナーII」。説明書の裏にスタッフ名が載っています。

 

ベーマガ1991年1月号より。

PCエンジン版「アウトラン」の広告内の「アナログスティックセット プレゼント」。「アウトラン」に付属するハガキを送ると、抽選で100名に「XE-1AJ」と変換器がもらえるという気前のいいキャンペーン。NECアベニュー製のアナログパッド(パワースティック)の発売が間に合わず、非常手段に打って出たという感じです。「サイバースティック/XE-1AJがPCエンジンに接続できる」ということは、この広告で知れ渡ったと思います。

広告に写っているのは、マイコンソフトの「XE-1AJ」。正確には「サイバースティック」ではありませんが、世間に伝わりやすいので、サイバースティック呼びで通したのでしょうか。変換器の仕様は「XHE-3」と同じだと思います。物凄いレアアイテムですが、果たして現存しているのでしょうか。

予定されていたNECアベニュー製アナログパッドの名前は「パワースティック」。「パワーコンソール(幻のSG用コントローラ)」とは別物です。自分は「アフターバーナーII」や「アウトラン」のアナログ対応は隠し機能だと思っていたのですが、まるっきり勘違いで、実際は発売前からアナログ対応であるとアナウンスされていました。

PC Engine FAN」1990年8月号によると、パワースティックはメガドライブ版と全く違った形状になると紹介されています。ここでいう「メガドライブ版」というのは、XE-1APのこと。この記事ではXE-1APを「世界一使いにくいアナログジョイスティック」と盛大にディスってます。

掲載した時点で、対応予定ソフトは「アフターバーナーII」「アウトラン」「オペレーションウルフ」「サンダーブレード(実際は非対応)」「ギャラクシーフォースII(未発売)」「フォゴットンワールド」でした。

PC Engine FAN」1990年9月号では、パワースティックの予想図を掲載。記事では「パソコン用として電波新聞社から発売されているアナログスティックと同等の機能を持つ」と紹介しています。

パワースティックの予想図を真似して描いてみました。「アウトラン」の発売から1年以上が過ぎて、マイコンソフトが変換アダプター「XHE-3」発売。これでXE-1APとサイバースティックをPCエンジンに接続して、アナログ対応ソフトを楽しめるようになりました。

まとめると、こんな感じです。

結局、パワースティックは発売されませんでした。発売中止の理由と、NECアベニューがシャープやマイコンソフトとどういう交渉をしていたのかが知りたいところです。

 

話は戻りますが、ベーマガでは1989年9月号から、NECアベニューの企業ページで「AVETUNE TIME/S」を連載しました。全14回。

・1989年9月号 NECアベニューの紹介(事業内容について)
・1989年10月号 PCエンジンのマルチメディア構想(漫画)
・1989年11月号 「サイドアームスペシャル」(漫画)
・1989年12月号 「ダライアス」(タイトルにスーパーが付いてない)
・1990年1月号 「サイドアームスペシャル」(攻略漫画)
・1990年2月号 「スーパーダライアス」(漫画)
・1990年3月号 「スーパーダライアスを100倍楽しむ法」(漫画)

(8回ほど休載)

・1990年12月号 「アベニューパッド3」(漫画)
・1991年1月号 「大旋風」「アウトラン」(4コマ漫画)
・1991年2月号 「クイズアベニュー」(漫画)
・1991年3月号 「ダウンロード2」(トップをねらえ!風漫画)
・1991年4月号 「ヘルファイヤーS」(漫画)。近日発売
・1991年5月号 「ヘルファイヤーS」(漫画)。4月号と同じ。発売日追加
・1991年6月号 「スプラッシュレイク」(イラスト)

連載第一回目はNECアベニューの会社内容の紹介でした。

NECアベニューのモットーは何と言っても忠実な移植。ゲームセンターそのまんまの感動をお伝えするためには、たとえプログラマー殺しと言われようと、ボツ魔神と言われようと断固妥協は許されない!

著者名が載ってないのですが、このウケ狙いの文体、多部田さんっぽいです。

 

ベーマガ1991年5月号より。

第二回目以降は松田浩二さんによるイラストや漫画を掲載していました。これには多部田さん(タベタ君)や松田さんや鈴木登美子さん(登美)が登場します。「がんばれ!タベタ君」のNECアベニュー版です。月刊マイコン読者なら喜んだと思います。

 

ベーマガ1991年6月号より。

PCエンジン CD-ROM2用ソフト「スプラッシュレイク」の紹介イラストです。この「スプラッシュレイク」の元ネタがこちら。

月刊「マイコン」1985年3月号より。

MSX用「Ostrich(オストリッチ)」。1984年の夏に松田さんが原案を出し、多部田さんが開発したゲームです。製作期間は半年とのこと。本誌にゲームのプログラムリストが掲載されました。発表から6年を経て、家庭用ゲーム機で復活したわけです。

AVETUNE TIME/Sは予告なしで突然終了しました。

終了に合わせ、「PC Engine FAN」では1991年7月号から多部田さんのコラムが連載開始。題名は「今だから言えるダライアス製作記」。連載は全9回、1992年4月号まで続きました(1992年1月号のみ休載)。この連載での興味深い情報は以下の通り。

・1987年11月(NECアベニュー創立の約1か月後)に「ワードナの森」移植計画がスタート。1988年1月にタイトーから移植の許諾を得る。1988年1月、某電子機器商社に「ワードナの森」の開発を依頼したが、翌月には商社側の技術力不足が露呈する。

・1988年6~9月にはイベントの展示用として三画面のダライアスを作れないか検討していた。三画面を連動させるコントローラーまで開発したが突如中止。

NECアベニューはブランド強化のため移植路線。クオリティ重視で、納期は度外視。

・アマチュア時代はハドソン製のFORM(FORTRAN)を使って開発した。

セガ以外のゲーム会社のツテがなく、手あたり次第に電話をかけまくった。関西の某社には電話をタライ回しにされて断られた。

・(1992年当時)開発中の「スーパーダライアスII」について、「年内発売! 多部田を信じて200日くれ!」と断言。結果、ムダに信用を落とす。

、、、本来はダライアスの開発の裏話を載せるコーナーのはずですが、脱線を繰り返し、ほとんど本題に触れずに終わってしまいました。

 

NECアベニューのソフトの中で、特に伝説的なのが「スペースファンタジーゾーン」です。「ファンタジーゾーン」のキャラを使い、「スペースハリアー」っぽい画面で遊ぶというオリジナル作品。ベーマガ1991年12月号には画面写真が1枚だけ掲載されています。ショップの女の子のグラフィックがいかにも松田さん調です(広告はうるし原さんですが)。記事には発売日が11月下旬とありましたが、発売されませんでした。「PC Engine FAN」1990年9月号によると、大物アニメータを起用して、人気声優がしゃべりまくるとのことなので、かなりオタクな方向性を感じます。

 

ベーマガ1989年10月号より。

マイコンソフトのX68000版「ファンタジーゾーン」(1989年7月25日発売)にはハリアー面という隠しステージが存在します。ハリアー面は背景とキャラクターがスペースハリアーに入れ代わった状態で遊ぶことができます。いわば「スペースハリアーの2D化」です。他にもX68000版には3Dメガネの立体視機能が搭載されていたり、遊び心があります。

NECアベニューマイコンソフトと近い関係にあり、スペースハリアーファンタジーゾーンも開発実績があります。それで、X68000版の逆の発想で「ファンタジーゾーンを3D化してみよう」という考えに辿り着いたのではないでしょうか。

以上が、❝「スペースファンタジーゾーン」はX68000版「ファンタジーゾーン」に触発されたんじゃないか?❞説です、、、勝手な推測ですが。

 

NECアベニューは、おそらくゲーム史上で最も生き急いだメーカーだったという気がします。関係者がマイコンソフト(電波新聞社)と深いところで繋がっていたという点が興味深いです。

電波新聞社P/ECE HANDBOOK Vol.2(2003年)」より。