3DプリンタでMSX用カートリッジのシェルを作る

MSX用カートリッジのシェル(ガワ)を3Dプリンタで作ってみました。AliExpressで探しても売っていないので、もう自作するしかありません。

私自身、数日前に3Dプリンタを触ったばかりで完全に初心者です。まずは、ググって調べるところから始めました。

 

モデリングには「Blender」を使ってみました。Blenderモデリングだけではなくて、動画作成にも対応しています。日本語にも対応しています。こんな凄いソフトがタダで使えるってことに驚きです。

カートリッジの寸法は実物をノギスで測って割り出しました。最初、寸法の入力方法がわからなくて、手間取りましたが、「N」キーを押せばいいだけでした。

 

ねじやナットは「Bolt Factory」っていうアドオンで作ります。なぜか、入力した値よりも生成されるねじの長さが1mmほど短くなってしまいます。理由は不明。

モデリングが終わったら、データをエクスポートして、STLというファイルで保存します。

 

「Ultimaker Cura」を使います。3Dプリンタの制御用のデータを生成するソフトです。ありがたいことに、こちらもフリーソフトです。

STL形式のファイルを読み込んで、3Dプリンタの種類とプロファイル(ノズルの速度や温度)を選択して、「Slice」ボタンを押すと、Gcodeという形式のファイルが出力されます。Gcode形式のファイルはSDカードに保存して、3Dプリンタに移し替えます。

「Ultimaker Cura」のインストーラはAnycubic Kobra Go付属のSDカードに入っていたのですが、ネットから最新バージョン(5.2.1)をダウンロードしました。気になる点として、最新バージョンに収録されていたAnycubic Kobraのプロファイルと、SDカードに収録されているプロファイルが一致しません。Anycubic KobraっていうのはGoと別物なのでしょうか。ここはSDカードのほうを信用したほうがいいと思います。

 

3Dプリンタでプリントします。プリントが終わるまでに1時間半くらいかかりました。

プリントのミスで、中央に大きな斜め線が入ってしまいました。これはノズルが速く動きすぎて、プラスチックが糸を引いてしまって、それが素材に埋まってしまうのが原因です。この糸を引かないようにするための設定方法がわかりません。

一発OKというわけにはいかなくて、実物が出来上がってから、本体に入らないことに気が付いて、作業工程をまるまるやり直しました。プログラミングとは違って、瞬時にリトライすることができません。

 

二度目のプリントで、うまく本体に挿し込むことができました。ここから上蓋も作らないといけませんが、このままで問題なく使えます。

凄い重要なことですが、プリントしたナットの穴は入力した寸法より狭くなってしまいます。逆にねじは太くなります。これはノズルから出るプラスチックの太さ(0.2mmくらい?)の都合でこうなるみたいです。サバを読んで設計しないといけません。

実物のカートリッジを真似して、挿し込み口付近に穴を空けてみたのですが、まったく意味がなかったです。一体、何のための穴なのでしょうか? 万引き防止?

3Dプリンタの理解が少し深まりました。

 

Anycubic Kobra Go(激安3Dプリンタ)

Amazon.co.jpで「Anycubic Kobra Go」という3Dプリンタを買ってみました。自分が買った時は値段は2万2000円くらい。さらにキャンペーンで1kgのフィラメントがオマケで付いてました。いくらなんでも安すぎです。

 

www.youtube.com

組み立ての様子を動画にしてみました。安すぎて心配だったのですが、サンプルのフクロウが問題なくプリントできました。

私自身、3Dプリンタについての知識が全くありません。プリントしたフクロウを外すのに悪戦苦闘してましたが、冷えたらあっさり取れました。

 

撮影の途中で、組み立て説明の動画ファイルがSDカードに入っていることに気が付きました。さすがに公式動画は出来がいいので、自分で撮る必要がなかったです。

 

出荷時は電源が230Vに設定されていますが、日本の場合、115Vに切り替えたほうがいいです。

 

調子に乗って、「メガドライブの拡張スロットのフタ」をプリントしてみたのですが、最初はフィラメント切れで失敗して、二度目はプリント中にベッドから外れて失敗。三回目で、このガタガタのやつが出来ました。

ノズルの温度とか、Z座標のオフセットとか、サポートとか、Adhesionとか、細かい調節をしないと、うまくプリントできないようです。コツを覚えないといけません。

 

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日経ソフトウエア 2023年1月号

2022年11月24日発売の「日経ソフトウエア 2023年1月号」で2件ほど記事を書かせて頂きました。

・特集、将棋アプリを作ろう。

・連載、IoT時代の電子工作 第7回目。

 

将棋アプリはPythonで作りました。

 

「IoT時代の電子工作」はオーソドックスなLEDの点灯/消灯のやり方を紹介しています。Raspberry Pi Picoを使いました。本当はRaspberry Pi Zero 2 Wを使いたかったのですが、どこにも売っていません。

 

Wi-Fiモジュールとして、ESP32を使ってみました。一番右側がESP32-WROOM-32Eで、右から二番目がESP32-WROOM-32Dです。末尾が「E」の方が新しくて、バグが修正されているらしいのですが、普通に使うぶんには性能は同じです。

「ドルアーガの塔」の60面クリアの話

アーケード版「ドルアーガの塔1984年)」の全60面クリアを達成したスコアラーについてメディアはどう伝えたのか。自分が知っている範囲で、次の6つの情報源があります。

(A)1984年8月末、「アミューズメントライフNo.21」の「全国のハイスコア速報」

(B)1984年9月8日、「ログイン1984年10月号」の「ビデオゲーム通信」

(C)1984年9月10日、「マイコンBASIC Magazine 1984年10月号」の「チャレンジ!ハイスコア」

(D)1989年12月、「別冊宝島 おたくの本」の成沢大輔さんの記事

(E)2001年x月、2ちゃんねる遠藤雅伸さんの書き込み

(F)2020年05月、BEEPでの響あきらさんの記事

時系列順に並んでいます。これらの情報はバラバラで、整合性が取れません。

何が真実なのか? 誰が一番なのか? を語り出すと荒れそうな予感がするので、今回は情報を列挙するだけに留めます。

 

情報源A。1984年8月末日発売、「アミューズメントライフNo.21」(奥付けは10月1日発行)。配慮して、無関係な方の実名は消しました。

1984年8月1日の時点でゲームブティック高田馬場店にて「CHU他4名」さんが60面クリアを達成しています。「CHU他4名」というのは、「5人で1チーム」という意味でしょうか? それとも、「1人プレイのクリアが5回発生した」という意味でしょうか? ゲームセンターは実機の数が限られているので、いやでも他人のプレイを見ることになります。黙って攻略方法を盗むわけにもいかないので、自然と「情報を共有しましょう」って話になりそうな気がします。

ググった感じでは、「ドルアーガの塔」の稼働日は7月20日。ですが、それだと、12日目で全60面クリアしたということになります。ロケテストを考慮しても短すぎです。実は前倒しで稼働していたとか?

いろいろ謎が残ります。

(追記。「ドルアーガの塔」のロケテスト1984年5月5日から開始とのこと。どうやって日にちを特定したのか謎ですけど。 ドルアーガ ロケテスト - Twitter Search / Twitter

 

参考までに1984年8月10日発売、ベーマガ9月号の「チャレンジ!ハイスコア」です。60面クリアは10月号からなので、これはその途中です。全108店のうち「ドルアーガの塔」のスコアが掲載されたのは、3店だけ。「ドルアーガの塔」導入率は約2.7パーセント。全国一斉に攻略がスタートしたわけではありません。「ドルアーガの塔」はスコアを載せてもあまり意味がなさそうですが。

スコアラーに「FUL、CHU、YAJI」と書かれています。チームで攻略していたということでしょうか。「FUL」さんというのは、おそらく古田秀人さんです。「CHU」さんはAMライフ(情報源A)で60面クリア達成したCHUさんと同一人物だと思います。

 

情報源B。1984年9月8日発売、アスキーの「ログイン」1984年10月号。ドルアーガを6ページに渡って大特集。エンディングまでネタバレしています。この中で次の記述があります。

8月2日付けで、ついに古田秀人君らが60階をクリアーしたという情報が確認されている。

「古田秀人君『』」と書かれているので、プレイヤーは複数です。チームでクリアしたのか? 個人のクリアが複数件報告されたのか? なんとも判断がつきません。どのお店でクリアしたのか不明です。

 

情報源C。1984年9月10日発売、電波新聞社の「マイコンBASIC Magazine(ベーマガ1984年10月号」のスーパーソフトマガジンの「チャレンジ!ハイスコア」。集計日が書いていませんが、おそらく8月下旬です。

次の10店で60面クリアが報告されています。

古田秀人さん、黒田さん、北村さん(プレイシティキャロット一番街店)
FULさん(ゲームブティック高田馬場店)
・おおぼりさん(プレイシティキャロット烏山店)
・EXCHANGERさん(ゲームインJ&B)
・清水さん(プレイシティキャロット黒崎店)
・MASさん(長岡キャロットハウス)
・KETOSEさん(プレイシティキャロット伊勢佐木町店)
・深井さん(亀戸キャロットハウス)
・川野さん(プレイシティキャロット駒沢店)
・有田さん(プレイシティキャロット巣鴨店)

、、、フルネームの方は名前を削らせて頂きました。古田さんだけ例外です。

「おおぼり」さんは大堀(うる星あんず)さんの可能性があります。間違っていたら、すみません。印刷の状態が悪くて「おおぽり」とも読めます。当時、大堀さんは高校3年生です。

「EXCHANGER」さんはベーマガ1984年10月号からライターとしてデビューしています。

「古田秀人(FUL)」さんのお名前がプレイシティキャロット一番街店とゲームブティック高田馬場店にあります。どっちが先に60面クリアを達成したのでしょうか? 古田さんが8月1日に高田馬場店でクリア → 8月2日に一番街店でクリアならば、情報源A・Bの矛盾はありません。ただし、ベーマガだと高田馬場店は「FUL」さん1人だけが書かれていますが、AMライフ(情報源A)だと「CHU他4名」になっていて、人数が食い違ってます。

 

情報源D。1989年12月発行。「別冊宝島 おたくの本」の「ゲーマー超人伝説」という記事。のちに「おたくの誕生!!」として文庫化しています。著者は成沢大輔さん。

記事には、大学生6人のチームが20万円を費やして、約1か月で「ドルアーガの塔」の60面をクリアしたと書かれています。この情報、どこまで信用していいのやら。大堀さんが60面で画面をダンボールで隠したとかというゴシップもこの記事です。

 

druaga.to

情報源E。ファンサイト「『ドルアーガの塔』研究室」。2001年に遠藤雅伸さんが2ちゃんねるに書き込んだ内容が転載されています。次の書き込みがあります。

ドルアーガの塔を最初にクリアしたのは、古田秀人君という早稲田の学生さんでした。

 

www.beep-shop.com

情報源F。2020年に公開、BEEPのブログでの響あきらさんの記事。

当時、私はうる星あんず氏やFUL氏、EXCHANGER氏らとドルアーガの塔攻略チーム(後に、世界で初めて『ドルアーガの塔』をクリア)を組んでいました。

ここにも古田(FUL)さんのお名前が出てきます。念のため書いておくと、この時点ではまだ、古田さんはライターではありません。

 

ファミコン版「ドルアーガの塔(1985年)」のスタッフクレジットに古田さんのお名前があります。ゲームの腕前を見込んでの抜擢でしょうか。

イシターの復活(1986年)」のスタッフクレジットにも古田さんのお名前があります(MONSTER SETTING  HIDETO "DRUAGA" FUL)。

 

古田(FUL)さんはベーマガ1985年4月号~1987年2月号で、ライターとして活躍されました。活動期間は2年弱です。主にロードランナーの記事を担当されています。

・1985年4月号「ロードランナー2 バンゲリング帝国の逆襲」
・1985年5月号「ロードランナー2 バンゲリング帝国の逆襲」
・1985年12月号「ペーパーボーイ」「インディジョーンズ」「ガントレット
・1986年1月号「ロードランナー3 魔神の復活」
・1986年3月号「ロードランナー3 魔神の復活」「ガントレット
・1986年4月号「アーガス」
・1986年5月号「ダーウィン4078」
・1987年1月号「ロードランナー4 帝国からの脱出」
・1987年2月号「ロードランナー4 帝国からの脱出」

 

ベーマガ1988年4月号の「山下章のフリートークボード」の「創刊70号をふり返って」という記事で、山下章さんが古田(FUL)さんを紹介しています。

彼が通りすぎたゲーム・センターには、他人のハイスコアはひとつも残らないという伝説がある。

ベーマガの「チャレンジ!ハイスコア」を確認したところ、1988年12月号までは、古田さんのお名前を確認することができました。こうした超優秀な人材がベーマガの誌面を支えていたというわけです。

 

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ベーマガの歴史と大堀康祐さん

雑誌「マイコンBASIC Magazine(ベーマガ)」における大堀康祐(うる星あんず)さんのご活躍をまとめてみました。大堀さんといえば、付録の「スーパーソフトマガジン」の「マッピー」と「ゼビウス」の攻略記事が有名です。ベーマガ以外でのご活躍が多いので、そちらも紹介したいと思います。

 

大堀さんはベーマガよりも先に「アミューズメントライフ(AMライフ)」でデビューしています。「AMライフ」はアーケードゲーム等の娯楽全般を扱う雑誌。発行元はアミューズメントまたは、アミューズメントライフという会社です。

・1983年2月10日発売、「AMライフ」No.2。新製品コーナーで「ゼビウス」を紹介。本文には「圧倒的質感」「神秘感あふれる画面美」「従来のゲームにはなかったほどの、自由自在な動き」と伝えています。雑誌の巻末には、「ゼビウス」の広告を見開きで掲載。キャッチコピーは「プレイするたびに謎が深まり、エキゾチックにエキサイトする!!」。

・1983年3月中旬? ゲームセンターで「ゼビウス」稼働開始。

・1983年4月8日発売、「ログイン」1983年5月号に「THE MAKING OF XEVIOUS」を掲載。「ゼビウス」誕生の経緯を6ページに渡って紹介。開発チームの集合写真、開発機材(HP-64000)や基板の写真が気前よく載ってます。

 


・1983年4月10日発売、「AMライフ」No.4より。この号からゲームセンターのハイスコアを掲載開始。ベーマガの「チャレンジ!ハイスコア」より8か月ほど早い試みです。この記事内の「大堀祐康」「メゾン一刻」が大堀さんです。

「中鉄直彦」はゼビウス本の共著者、中金直彦さんだと思います。「ゼビウス」のスコアは1983年3月20日の集計時で911万6860点。ここから数日後に1千万点に達したと思います(正確には999万9990点)。別の号には「あんず」「あんずあめ」「うるせえあんず」というお名前があるのですが、それも大堀さんでしょうか?

・1983年4月初旬? 大堀さんがナムコ接触

・1983年4月中旬? ゼビウス本が完成。

 

・1983年5月10日発売「AMライフ」No.5より。「読者参加/ビデオゲームに挑戦中! ぼくら、ゲームどわいすき少年だもんね」に大堀さんと中金さん達が登場。本誌の読者がゲームセンターで腕前を披露するというコーナーです。これより一つ前の号(No.4)の「読者参加~」には田尻智さんが登場していました。

大堀さんは「うる星あんず」名義。顔出しNGなので、写真が一部イラストで塗りつぶされています。一方、中金さんは実名OK&顔出しOKという状態。この記事の中で、「ゼビウスの本」が紹介されています。

ゼビウスの本”は、ナムコの開発の人が、彼らだけにそおっと教えてくれた、ゼビウスの秘密のすべてが書いてあるマル秘必勝本なのだ。
ゼビウスのストーリー紹介から始まって、遊び方、キャラクターの解説、スペシャル・フラッグゾーンの捜し方、各エリアの攻撃方法など、とっても詳しく書いてあり、一冊を読破すれば、10000000点も夢ではないというシロモノ。
ゲームセンターへの持ち込みで販売中、問い合わせは、本誌編集部桧山宛へどうぞ。

この記事で、ゼビウス本が有名になります。「ゲームセンターへの持ち込み」だと書かれていますが、具体的には本をどうやって売っていたのでしょうか?

この後、どこかのタイミングで、ゼビウス本はゲームフリーク版に切り替わり、通販で買えるようになります。オリジナル版とゲームフリーク版は判型が違います。

・1983年6月10日発売、「AMライフ」No.6。中金さんが「ゼビウス」で1千万点を達成する様子を実況風に紹介しています。プレイ時間は5時間46分。過酷すぎます。この時点で1千万点プレイヤーは全国で約8人とのこと。この記事で大堀さんは「O君」として登場しています。

 

・1983年7月8日発売、「ログイン」1983年8月号より。「ビデオゲーム通信」にゲストとして大堀さん(うる星あんず)が登場。「スター・ゲームプレイヤー うる星あんず、MAPPYを語る」と題して、マッピーの攻略法を掲載しています。大堀さんについての紹介文は次の通り。

全25ページに渡る徹底解析マニュアル"ゼビウス1千万点への解法"をオフセット出版した。人は彼を「ゼビウス1千万点の男」と呼ぶ。

このオフセットという表現からすると、ゼビウス本は製本していたという意味でしょうか。オリジナル版? ゲームフリーク版?

この次の号(9月号)の「ビデオゲーム通信」のゲストは田尻智さんでした。田尻さんと大堀さんのニアミスが続きます。

 

・1983年10月8日発売、「ログイン」1983年11月号より。『少年は「ゼビウスの星」を見たか?』。遠藤雅伸さんの出演したイベントで「ゼビウス星」が存在するか? とファンが質問した件が紹介されています。「ゼビウス」ブームが過熱しすぎて、おかしな方向に進んでいます。

 

・1983年10月10日発売、ベーマガ1983年11月号。ここから付録として「スーパーソフトマガジン」が付きます。「MAPPY大解析」と題して、大堀(うる星あんず)さんが「マッピー」の攻略方法を掲載。自己紹介のページで、大堀さんは「マクドナルドに入っただけで停学になる」ような厳しい学校に通っていることが明かされています。当時、高校2年生。

ゼビウス本(ゲームフリーク版)の通販の案内も掲載されています。問い合わせ先は田尻さんです。ここでの題名は「Xevious 10000000 pts への解法」。

・1983年11月10日発売、ベーマガ1983年12月号。スーパーソフトマガジンにて「ゼビウス大解析PART1」を掲載。「ゼビウス」の基本的な遊び方、登場キャラクター、ストーリー等が載っています。

 

・1983年11月10日発売、「コンプティーク」創刊号より。ベーマガと全く同時期に「ゼビウス」の攻略方法を掲載しています。こちらは、中金直彦さんが登場。大堀さんは登場しません。

・1983年11月20日発売、「AMライフ」No.11。大堀さん(うる星あんず名義)による連載「あんずのおもしろレポート」第1回目を掲載。内容はアーケードゲームのTIPSを羅列したものです。

 

・1983年12月10日発売、ベーマガ1984年1月号のスーパーソフトマガジンより。「ゼビウス大解析PART2」。エリア1~8のマップを掲載。この号から「チャレンジ!ハイスコア」の連載が始まります。「ゼビウス」の項目には999万9990点の文字が並んでいます。当時、1千万点に達するには6時間くらい連続でプレイする必要がありました。ゲームセンター側からすると、まったく儲かりません。「ゼビウス」は人気と裏腹にゲームセンターから早く消え去ったと思います。

・1983年12月20日発売、「AMライフ」No.12。「あんずのおもしろレポート」連載2回目を掲載。前回同様、ゲームのTIPSを羅列しています。

 

1984年1月10日発売、ベーマガ1984年2月号のスーパーソフトマガジンより。「ゼビウス大解析PART3(最終回)」。エリア9~16のマップを掲載。遠藤雅伸さんのインタビュー記事が見どころ。

1984年1月20日発売、「AMライフ」No.13。「あんずのおもしろレポート」連載第3回目を掲載。「スーパーゼビウス」発売希望の手紙をナムコに送ろうと呼びかけています。

1984年2月20日発売、「AMライフ」No.14。「あんずのおもしろレポート」連載第4回目を掲載。「超私的理由で、勝手にお休みさせていただきます」とのコメントで、突然の最終回。受験を控えての引退だと思います。

あと、本題からズレますが、1984年6月発売、「AMライフ」No.19に読者参加の座談会で響あきらさん、見城こうじさん、手塚一郎さんが登場しています。ベーマガでデビューするより1か月くらい早いです。

 

1985年8月発売、ファミコン版「ドルアーガの塔」。アーケード版から約1年後の移植です。上の写真は「ナムコットコレクション」。巻き戻し機能があるのが便利です。60面クリア後、スタッフクレジットに大堀さん(OHHORI)のお名前を確認することができます。

「GAME ANALYZER」って、具体的には何を担当されたのでしょうか? 「TEZUKA」「FURUTA」さんというお名前も凄く気になります。

 

角川の「マル勝ファミコン」1987年11月13日号(Vol.23)より。「コンプティーク」が熱心にファミコンネタを載せ続けて、そこから派生した雑誌です。マル勝は「○」の中に「勝」と書きます。大堀さんは「師範代大堀」として同誌にデビュー(「大堀師範代」ではなく「師範代大堀」です)。文章から察するに、大堀さんは「ファミっ子大作戦」というテレビ番組に出演していたと思います。名人みたいな感じだったのでしょうか。

これより少し前の号ですが、「マル勝ファミコン」では山下章さんが「山下章パソコンゲームはこんなにすごいんだ!!」を連載していました(1987年2月13日号~1987年8月14日号)。パソコンゲームのソフトをファミコンユーザーに紹介するという記事でした。11月13日号の巻末を見ると、すでに連載が終わっているのに、山下さんのお名前が載ってます。

大堀さん・山下さんのコンビといえば、1988年4月に放送された「ドラクエIV予想」のTV番組が有名です。ベーマガ1988年5月号では、次のようなお知らせが掲載されました。

4月13日放送のTBS系「地球発19時・ドラクエIVを予想する!」に山下 章先生と伝説のうる星あんず先生が出演します。海外ロケを敢行してなかなか興味深い内容となっていますので、全国のみなさん、ぜひご覧になってください。

同年2月に「ドラクエIII」が大ヒット。その2か月後に「ドラクエIV」を予想するという番組でした。「マル勝ファミコン」では、この番組についての情報が掲載されていません。

放送された番組内のテロップは「うる星あんず」ではなく、「ゲームデザイナー 大堀康祐」でした。ついにゲームクリエイター宣言です。自分はリアルタイムで観ましたが、テロップが一瞬だったのでスルーしてしまいました。

 

「マル勝ファミコン」1988年5月13日号(Vol.9)より。クロスレビュー的なページで、大堀(師範代大堀)さんのプロフィールを公開。

「マル勝ファミコン」1988年5月27日-6月10日合併号(Vol.10)を最後に大堀さんは誌面から姿を消してしまいます。本誌での活動期間は半年でした。

 

1988年12月8日発売、ベーマガ1989年1月号より。山下章さんの連載「ホンキでPlay ホンネでReview!!」のゼビウス回(後編)。「あなたにとってのゼビウスとは?」と題して、大堀(うる星あんず)さんが寄稿しています。内容は以下の通り。

発売と同時に思い切りのめり込んだボクは、約一週間で一千万点に到達したのですが、その当時「ゼビウス」はもの珍しさこそあったものの、世間の人々からはそれほど受け入れられていませんでした。そこで、僕は、あの素晴らしい世界を多くのみなさんにわかってもらいたいと思い、『ゼビ本』の執筆をはじめたわけです。そのときに共著者の田尻クンの惜しみない協力があったことも忘れられません。田尻クンはボクにとって心の友ですよ。ホント。

略称は「ゼビ本」のようです。ゼビ本を作った動機(みんなに知って欲しい)、1千万点到達に費やした時間(約一週間)、個人的に一番知りたかった情報が、ここに全部書いてありました。

最後の田尻さんへの言及が不自然な気が。当時、田尻さんはJICCの「ファミコン必勝本」で「(田尻の)パックランドでつかまえて」を連載していました(1988年6月3日号~1989年5月19日号)。いわば自伝的小説です。この中で「ゼビウス」が上手い「一千万点の少年」が登場します。この名もなき少年は主人公(田尻さん)に非協力的だったり、「ドルアーガの塔」の60面で画面をダンボールで隠したり、完全に悪役です。ここだけなら、まあ、フィクションかな? で終わりなのですが、続きがあります。

1989年12月発行の「別冊宝島 おたくの本」の「ゲーマー超人伝説 異能戦士たちの聖戦!」で、大堀(うる星あんず)さんが「ドルアーガの塔」の60面をプレイ中、ダンボールで画面を隠したという話が出てきます。ギャラリーはテープレコーダーで対抗して、音だけでクリア方法を予想したとのこと。さすがに盛りすぎな気がします。悪い意味で宝島っぽい記事です。著者は成沢大輔さん。この本は、2000年に「おたくの誕生!!」という題名で文庫化しています。写真は無くなっていますが、文章はそのままです。

 

大堀さんに関連するソフトを紹介。

一本目は「機動戦士Ζガンダム ホットスクランブル(1986年)」。エンディングで「MAP MAKING」「YASUHIRO OHORI」と表示されます。

二本目は「サンリオカーニバル(1990年)」です。エンディングで「ゲームをかんがえた おにいさん」「おおほり やすひろ」と表示されます。

 

1992年10月発売。メガドライブ用の超大作アクションRPGランドストーカー ~皇帝の財宝~」。上の写真はメガドライブミニ。1992年11月発行の「THE MAKING OF LAND STALKER 天才プログラマー内藤寛の世界」という本によると、大堀さんは外部スタッフとして参加。「マップ作成ほか担当」とのこと。「ほか」ってのが気になります。テーブル筐体の「ゼビウス」で遊んでいるスタッフの写真が見どころ。

 

1997年発売、プレステ用の超大作アクションRPGアランドラ」。大堀さんが立ち上げた会社「マトリックス」が開発しています。シナリオ担当は手塚一郎さんです。現在、本作は初代PSアーカイブスでPS3で配信しています。

 

ベーマガ1999年2月号、200号記念のFinal Stageより。うる星あんず=大堀康祐さんであることが、ベーマガでようやく明かされました。

以上です。抜けてる情報はそのうち埋めていきたいと思います。

 

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