「ドルアーガの塔」の60面クリアの話

アーケード版「ドルアーガの塔1984年)」の全60面クリアを達成したスコアラーについてメディアはどう伝えたのか。自分が知っている範囲で、次の6つの情報源があります。

(A)1984年8月末、「アミューズメントライフNo.21」の「全国のハイスコア速報」

(B)1984年9月8日、「ログイン1984年10月号」の「ビデオゲーム通信」

(C)1984年9月10日、「マイコンBASIC Magazine 1984年10月号」の「チャレンジ!ハイスコア」

(D)1989年12月、「別冊宝島 おたくの本」の成沢大輔さんの記事

(E)2001年x月、2ちゃんねる遠藤雅伸さんの書き込み

(F)2020年05月、BEEPでの響あきらさんの記事

時系列順に並んでいます。これらの情報はバラバラで、整合性が取れません。

何が真実なのか? 誰が一番なのか? を語り出すと荒れそうな予感がするので、今回は情報を列挙するだけに留めます。

 

情報源A。1984年8月末日発売、「アミューズメントライフNo.21」(奥付けは10月1日発行)。配慮して、無関係な方の実名は消しました。

1984年8月1日の時点でゲームブティック高田馬場店にて「CHU他4名」さんが60面クリアを達成しています。「CHU他4名」というのは、「5人で1チーム」という意味でしょうか? それとも、「1人プレイのクリアが5回発生した」という意味でしょうか? ゲームセンターは実機の数が限られているので、いやでも他人のプレイを見ることになります。黙って攻略方法を盗むわけにもいかないので、自然と「情報を共有しましょう」って話になりそうな気がします。

ググった感じでは、「ドルアーガの塔」の稼働日は7月20日。ですが、それだと、12日目で全60面クリアしたということになります。ロケテストを考慮しても短すぎです。実は前倒しで稼働していたとか?

いろいろ謎が残ります。

(追記。「ドルアーガの塔」のロケテスト1984年5月5日から開始とのこと。どうやって日にちを特定したのか謎ですけど。 ドルアーガ ロケテスト - Twitter Search / Twitter

 

参考までに1984年8月10日発売、ベーマガ9月号の「チャレンジ!ハイスコア」です。60面クリアは10月号からなので、これはその途中です。全108店のうち「ドルアーガの塔」のスコアが掲載されたのは、3店だけ。「ドルアーガの塔」導入率は約2.7パーセント。全国一斉に攻略がスタートしたわけではありません。「ドルアーガの塔」はスコアを載せてもあまり意味がなさそうですが。

スコアラーに「FUL、CHU、YAJI」と書かれています。チームで攻略していたということでしょうか。「FUL」さんというのは、おそらく古田秀人さんです。「CHU」さんはAMライフ(情報源A)で60面クリア達成したCHUさんと同一人物だと思います。

 

情報源B。1984年9月8日発売、アスキーの「ログイン」1984年10月号。ドルアーガを6ページに渡って大特集。エンディングまでネタバレしています。この中で次の記述があります。

8月2日付けで、ついに古田秀人君らが60階をクリアーしたという情報が確認されている。

「古田秀人君『』」と書かれているので、プレイヤーは複数です。チームでクリアしたのか? 個人のクリアが複数件報告されたのか? なんとも判断がつきません。どのお店でクリアしたのか不明です。

 

情報源C。1984年9月10日発売、電波新聞社の「マイコンBASIC Magazine(ベーマガ1984年10月号」のスーパーソフトマガジンの「チャレンジ!ハイスコア」。集計日が書いていませんが、おそらく8月下旬です。

次の10店で60面クリアが報告されています。

古田秀人さん、黒田さん、北村さん(プレイシティキャロット一番街店)
FULさん(ゲームブティック高田馬場店)
・おおぼりさん(プレイシティキャロット烏山店)
・EXCHANGERさん(ゲームインJ&B)
・清水さん(プレイシティキャロット黒崎店)
・MASさん(長岡キャロットハウス)
・KETOSEさん(プレイシティキャロット伊勢佐木町店)
・深井さん(亀戸キャロットハウス)
・川野さん(プレイシティキャロット駒沢店)
・有田さん(プレイシティキャロット巣鴨店)

、、、フルネームの方は名前を削らせて頂きました。古田さんだけ例外です。

「おおぼり」さんは大堀(うる星あんず)さんの可能性があります。間違っていたら、すみません。印刷の状態が悪くて「おおぽり」とも読めます。当時、大堀さんは高校3年生です。

「EXCHANGER」さんはベーマガ1984年10月号からライターとしてデビューしています。

「古田秀人(FUL)」さんのお名前がプレイシティキャロット一番街店とゲームブティック高田馬場店にあります。どっちが先に60面クリアを達成したのでしょうか? 古田さんが8月1日に高田馬場店でクリア → 8月2日に一番街店でクリアならば、情報源A・Bの矛盾はありません。ただし、ベーマガだと高田馬場店は「FUL」さん1人だけが書かれていますが、AMライフ(情報源A)だと「CHU他4名」になっていて、人数が食い違ってます。

 

情報源D。1989年12月発行。「別冊宝島 おたくの本」の「ゲーマー超人伝説」という記事。のちに「おたくの誕生!!」として文庫化しています。著者は成沢大輔さん。

記事には、大学生6人のチームが20万円を費やして、約1か月で「ドルアーガの塔」の60面をクリアしたと書かれています。この情報、どこまで信用していいのやら。大堀さんが60面で画面をダンボールで隠したとかというゴシップもこの記事です。

 

druaga.to

情報源E。ファンサイト「『ドルアーガの塔』研究室」。2001年に遠藤雅伸さんが2ちゃんねるに書き込んだ内容が転載されています。次の書き込みがあります。

ドルアーガの塔を最初にクリアしたのは、古田秀人君という早稲田の学生さんでした。

 

www.beep-shop.com

情報源F。2020年に公開、BEEPのブログでの響あきらさんの記事。

当時、私はうる星あんず氏やFUL氏、EXCHANGER氏らとドルアーガの塔攻略チーム(後に、世界で初めて『ドルアーガの塔』をクリア)を組んでいました。

ここにも古田(FUL)さんのお名前が出てきます。念のため書いておくと、この時点ではまだ、古田さんはライターではありません。

 

ファミコン版「ドルアーガの塔(1985年)」のスタッフクレジットに古田さんのお名前があります。ゲームの腕前を見込んでの抜擢でしょうか。

イシターの復活(1986年)」のスタッフクレジットにも古田さんのお名前があります(MONSTER SETTING  HIDETO "DRUAGA" FUL)。

 

古田(FUL)さんはベーマガ1985年4月号~1987年2月号で、ライターとして活躍されました。活動期間は2年弱です。主にロードランナーの記事を担当されています。

・1985年4月号「ロードランナー2 バンゲリング帝国の逆襲」
・1985年5月号「ロードランナー2 バンゲリング帝国の逆襲」
・1985年12月号「ペーパーボーイ」「インディジョーンズ」「ガントレット
・1986年1月号「ロードランナー3 魔神の復活」
・1986年3月号「ロードランナー3 魔神の復活」「ガントレット
・1986年4月号「アーガス」
・1986年5月号「ダーウィン4078」
・1987年1月号「ロードランナー4 帝国からの脱出」
・1987年2月号「ロードランナー4 帝国からの脱出」

 

ベーマガ1988年4月号の「山下章のフリートークボード」の「創刊70号をふり返って」という記事で、山下章さんが古田(FUL)さんを紹介しています。

彼が通りすぎたゲーム・センターには、他人のハイスコアはひとつも残らないという伝説がある。

ベーマガの「チャレンジ!ハイスコア」を確認したところ、1988年12月号までは、古田さんのお名前を確認することができました。こうした超優秀な人材がベーマガの誌面を支えていたというわけです。

 

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