元ツクモ(九十九電機)の荒井貞博さんがパソコン雑誌にどれくらい登場しているのか調べてみました。
荒井さんは現在、秋葉原の「RobotShopテクノロジア」の店主として、ご活躍されています。
今回、調べてみて気が付きましたが、ツクモの広告は雑誌によって内容が全く違います。「Oh!X」はX68000に特化していて、毎号のように荒井さんが登場します。
「Oh!X」1987年12月号のツクモの広告。「Oh!MZ」から「Oh!X」に雑誌名を変更した号です。広告内に「7号店シャープ大好きスタッフ」として荒井さんが登場します。この1つ前の11月号でもテレカの図柄として荒井さんが登場していましたが、その時点ではまだ名乗っていません。
「Oh!X」1988年12月号のツクモの広告。
これと同時期に、TV番組「パソコンサンデー」の特集「‘88ゲーム総決算!」(1988年12月25日放送)に荒井さんがご出演。ツクモ7号店2階のシャープ専門フロア(SHARP PRO SHOP)で「'88下半期ゲームソフトBEST5」を発表しました。
「Oh!X」1988年3月号の広告には「おかげ様で7号店はX68000の販売量日本一の店として認められました。」と書かれて、相当繁盛していたようです。
一方、ベーマガ(マイコンBASICマガジン)のツクモの広告はX68000が載ったり載らなかったりで、荒井さんの登場回数が限られています。
上記の写真はベーマガ1989年11月号のツクモの広告。荒井さんが名前入りのイラストで登場。このイラストは「Oh!X」の1989年11~12月号、1990年2~3月号にも登場します。
・ベーマガ1990年5月号のツクモの広告。「X68000 7号店 担当」として荒井さんが登場。
・ベーマガ1991年12月号のツクモの広告内に例のイラストで登場。ただし、お名前が書かれていません。
・「ログイン」1991年12/20号の特集記事「全国電気街探訪記」でツクモパソコン本店が紹介され、観月ありさ等身大パネルと並んで荒井さんが登場。まさかのFM-TOWNS推し。
・ベーマガ1992年6月号。各ショップの店員がいろいろな製品をおすすめする「プロ・アドバイザーが選んだ~」という企画が不定期で連載。以後、荒井さんはツクモのプロ・アドバイザーとしてベーマガ誌面に登場します。この号では荒井さんが「X68000 Compact XVI」基本セットをおすすめ。
同連載には他にもラオックス、ソフマップ、ロケット、SASAKI、シスペック、T-ZONE、日本マイコン流通センター、ヒロセムセン、STANDBYの店員さんがプロ・アドバイザーとして登場しました。
・ベーマガ1992年8月号に登場。プリンタは用途別に「AP-1000/PC」「LBP-B40GE」「IO-735X」「VP-1047/PC」をおすすめ。
・ベーマガ1992年10月号に登場。X68000用通信ソフトは「た~みのる2」。2400bpsモデムはオムロン「MD24FB5V」をおすすめ。
・ベーマガ1992年11月号に登場。ミュージックシステムは「EUPHONY」と「FMT-403」や「HELLO!MUSIC!」「ミュージ郎300」などをおすすめ。GS音源にこだわらなければ、GM音源「CBX-T3」でも十分、というコメント。
・ベーマガ1993年3月号に登場。PS/V2405-WなどDOS/Vパソコンをおすすめ。対応ゲームとしてはフライトシミュレータなどが人気があるとのこと。
・1993年4月号に登場。「PC-9801Ae/U2」をおすすめ。
・ベーマガ1993年6月号に登場。「PC-9801BX/U2」をおすすめ。
・ベーマガ1993年7月号に登場。ワープロは「一太郎5」、プリンタは「BJ-15V」をおすすめ。
・ベーマガ1993年8月号に登場。「メモリやCPUの種類や相性があって迷うと思います。メーカーは同じものにしたほうがいい。気軽に相談してください。」という感じのコメント。
・ベーマガ1993年9月号に登場。MIDI音源をおすすめ。本格的にはじめたいときにはMacintoshをおすすめ。
・ベーマガ1993年10月号に登場。CD-ROMドライブはロジテック「LCD-500」をおすすめ。
・ベーマガ1993年11月号に登場。CD-ROMソフトはWindows対応のものが注目とのコメント。
・ベーマガ1993年12月号に登場。X68000用ハードディスクとして松下電器産業「LK-RH127NZ」をおすすめ。
・ベーマガ1994年6月号に登場。ハードディスクの性能はどのメーカーもそれほど変わりはない。PC-486HX/HGを持っている人には「PCSHD200A」がおすすめという感じのコメント。
「Oh!X」1994年6月号のツクモの広告。こちらは完全にX68000専門で、売り場も「4F」と限定します。理由は不明ですが、これ以降、ツクモの広告には担当者の顔写真や名前が載らなくなります。結果、荒井さんは約6年半、「Oh!X」に登場し続けました。
・ベーマガ1994年7月号に登場。荒井さんがプロアドバイザーとして登場。ツクモオリジナルのDOS/Vパソコン(486DX2搭載)をおすすめ。コンピュータミュージックに興味のある人には「SC-88」「ミュージ郎88Pro」をおすすめ。
・ベーマガ1994年11月号に登場。キャプチャーボードは「GI-98」に注目。サウンドボードは「Sound Blaster」がおすすめ。
・ベーマガ1994年12月号に登場。パイオニア「LaserActive」をおすすめ。
・ベーマガ1995年2月号に登場。ノートパソコン「DynaBook EZVision」をおすすめ。
・ベーマガ1995年4月号に登場。荒井さんがベーマガの表紙にデビュー。プロ・アドバイザーのコーナーではCD-ROMドライブは「CD-620S-N」「CND-4FB」「PXシリーズ」をおすすめしています。
この号の付録CD-ROMはプロ・アドバイザーの動画が収録されていて、荒井さんが喋ったりするのですが、もったいないので、まだ開封していません。
話が前後しますが、ここでツクモについてちょっと補足しておきます。
こちらは「ラジオの製作」1979年6月号のツクモの広告。当時のツクモは無線機の販売が主体で、「PET2001」「MZ-80K」をひっそり売っている状態でした。すでに万世店、ニュー秋葉原センター店、ラジオセンター店、名古屋店、5号店が存在しています。おそらく、出店した順に並んでいると思います。
1979年12月ごろ、2つ目の名古屋店オープン。これが6号店に相当します。
「ラジオの製作」1981年5月号、付録版ベーマガのツクモの広告。ツクモは1980年からオリジナルハード/ソフトも扱い始めます。HAL研究所のゲームもツクモ製になっていますが、独占販売だったのでしょうか?
「パックマン」等は当初、ナムコに無断で販売していましたが、途中からきちんと契約したようです。「ユーズド・ゲームズ」Vol.12(1999年9月発行)の岩田聡さんのインタビューで「ナムコさんと最初にパソコンゲームでライセンス契約を結んだのは当社(HAL研)なんです。」という証言が載っています。
「ラジオの製作」1982年6月号のツクモの広告。1982年5月15日にツクモ7号店がオープン。愛称は「ツクモセブン」だったようです。
7号店の特徴は「マイコンレディ」と呼ぶ女性店員でした。雑誌「向上の電化」1985年5月号の「マイコンショップ訪問記」によると、7号店の店員12人のうち8人がマイコンレディで、売上の9割を占めると書かれています。マイコンレディって、いつ頃まで存在していたのでしょうか。
山下章さんのベーマガの連載「パソコンゲームに思いを馳せて」でも当時(1983年ごろ)のツクモの様子が描かれています。第4回(1996年9月号)はツクモ7号店でPC-8801をセットで購入する話、第5回(1996年10月号)はツクモの「ウルトラ四人麻雀」を遊んだ話が載っています。
ツクモは猛烈な勢いで店舗を増やしていくのですが、複雑すぎて追いきれません。不完全な情報になります。
1982年12月18日、「ツクモ札幌店」オープン。
1990年11月、「AV/カメラ館」オープン。
1990年12月、「パソコン本店」オープン。X68000コーナーはパソコン本店 2階に移転します。
1992年2月?、ビル建て替えにより7号店が閉店。
1993年ごろから、X68000の売り場がじりじりと後退していきます。DOS/Vの人気が爆発したのも1993年です。
1993年6月ごろ、X68000コーナーがパソコン本店II 3階に移転。
1993年10月ごろ、AV/カメラ館がDOS/Vパソコン館に名称変更。
1994年1月ごろ、X68000コーナーがパソコン本店II 4階に移転。
1994年4月ごろ、7号店の跡地に「パソコン本店II」がオープン。パソコン本店IIとパソコン本店は内部でつながっているという特殊な構造をしています。パソコン本店IIはDOS/Vタワー(94年)→Windowsタワー(95年)→インターネット館(96年)と流行に合わせて目まぐるしく名前が変わります。
1994年、知らない間に万世店とラジオセンター店が復活。
1994年11月ごろ、X68000コーナーがパソコン本店 4階に移転。
1996年、X68000コーナーがパソコン本店II(インターネット館)地下1階に移転。
X68000 Compact XVIが7万8000円という衝撃価格。Windows全盛の当時、X68000でページを埋め尽くしているのは、かなり異例だったと思います。
RED ZONEも激安です。「漫画で人気の満開製作所」との一文がありますが、漫画が載っていたのは「Oh!X」でした。「Oh!X」は1995年12月号で休刊。
というわけで、9年間に渡ってX68000を支え続けたツクモの偉業が伝わりましたでしょうか。