ランドストーカー(ネタバレ)

メガドライブミニに収録されている「ランドストーカー~皇帝の財宝~(1992年)」を遊んでみました。メガドラ用のアクションRPGです。開発はクライマックス。

本作の特徴は優れたビジュアルとサウンド。時代を先取りして、いち早く3Dアクションにチャレンジしようとしたその意欲は素晴らしいです。箱を持ち上げるとか、箱の上に乗るとか、仕掛けが豊富。ドロップしたアイテムが敵の上に乗ったりするのですが、そこまで計算しているゲームは当時としては極めて珍しいです。マップも広大です。

しかし、素材の良さを活かせなかった惜しいゲームという印象があります。ついつい「ゼルダの伝説 神々のトライフォース(1991年)」と比較してしまいます。

 

ジャンプ系のアクションは常に緊張感があって、やり遂げると達成感があります。

ですが、不親切な場面が多くて、ストレスが溜まります。障害物で隠れた道が見付けにくい。空中の距離感がつかみにくい。斜め移動は操作しづらいです。

戦闘に納得感が少ない。攻撃を当てた手ごたえが足りない。敵の攻撃を防御するアクションがない。場面切り替え後に吹っ飛ばされるという理不尽な場面も多いです。一応、敵の攻撃をかわすというアクションがあるのですが、気持ち良く動けません。

 

プレイ中、最も厳しいと思ったのがここ。一定時間内にスイッチを押さないといけないのですが、タイミングがありえないほどシビアです。もうちょっとバランス調整をして欲しかった。

もし、当時遊んでいたら、確実に詰みますが、今だとステートセーブでどうにか進めることができます。

 

穴に箱を入れるという仕掛けなのですが、座標がちょっとでもズレると入りません。

 

シナリオが、、、もう少し何とかならなかったのか。

ヒロインも敵の三人組も、まともに出番がないです。

 

地下のカジノ。かなり終盤になってから行けるようになります。

 

もう二度とやりたくないと思うくらいの超難所。

素早く正確に方向ボタンを押さないといけません。しかも斜め入力。

 

ラスボスとの対決。金の女神像を使って、ボタンを連打してたら、勝ててしまいました。

 

ラスボスを倒すと、会話がちょっとあって、スタッフクレジットが始まって、背景が真っ黒なまま「THE END」となります。画像の1枚くらいは欲しかった。

というわけで、不満ばかり書いてしまいました。もし本作を1992年に遊んでいたら、不満なく遊んでいたと思います。

今回プレイした目的は大堀康祐さんのお名前を確認することでした。クレジットによると肩書は「FIRST UNIT MAP DESIGNER」と「MONSTER AND TRAP CONSTRUCTOR」の2つ。直訳すると「第1班マップデザイナー」と「モンスターとトラップ構築」でしょうか?

書籍「THE MAKING OF LAND STALKER 天才プログラマー内藤寛の世界(1992年11月10日発行)」によると、大堀さんは「外部スタッフ」であると書かれているので、クライマックスの社員ではないようです。所属している会社名とかは載っていません。

「THE MAKING OF LAND STALKER 天才プログラマー内藤寛の世界」は「ランドストーカー」のメイキング本です。スタッフの座談会とか、「内藤寛 物語」という漫画とかが載ってます。漫画の中でPC-6001用のゲーム「オリオン」と「クエスト」が出てくるのが見どころ。

この本によると、内藤さんが「ランドストーカー」の表示システムを思いついたのが1991年の初春。マンションの10階から景色を眺めていてひらめいたそうです。座談会によると、1991年2~3月から作り始めたとありますが、3D表示の実験を始めたという意味でしょうか。

はっきりとした時期が書かれていませんが、1991年の夏あたりにゲームのジャンルをアクティブRPGに決定。それまではアクションゲームになるかもしれなかったとのこと。セガとの契約後、本格的な制作がスタートしたのが1991年9月と書かれています。

発売が1992年10月30日。ROMの量産を考えると、実質的な開発期間は9~10か月でしょうか?

 

ベーマガ1992年10月号より。

メガドライブのランキングのページに期待のソフトとして「ランドストーカー」が紹介されました。当時、「シャイニング&ザ・ダグネス」がヒットして、期待が大きかったと思われます。

 

ベーマガ1989年2月号より。

時間が巻き戻りますが、「ランドストーカー」のプログラマ内藤寛さんは、ベーマガで「内藤寛のゲーム・プログラミング道場」を連載していました(正しい表記は「寛」の隣に「、」が入る)。「ドラクエIV」の開発でご多忙な中、連載していたことに驚きです。

連載1回目では内藤さんが最初にPC-6001と出会ったとか、高校生の頃にソフトハウスでアルバイトしたとか、チュンソフトに入社して「ドラクエIII」のチーフ・プログラマになったことなどが2ページに渡って語られています。連載2回目からQ&A形式でゲーム作りの質問に回答していました。

連載8回目(1989年9月号)の序文には「ドラクエIV」が完成したと書かれています。8月ごろにマスターアップしたのでしょうか。

ベーマガ1990年2月号より。連載13回目。お知らせがどこにも載っていませんが、これが最終回です。この約一か月後に「ドラクエIV」発売。1990年4月にクライマックスを設立しています。

 

(「マル勝ファミコン」1987年11月13日号より
ついでに書いておきますが、大堀さんのマルカツ時代のペンネームは「大堀師範代」ではなく、正しくは「師範代大堀」です。

 

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