「獣神ローガス」の裏技(サウンドテストモード)

「獣神ローガス(1988年)」というゲームのサウンドテストモードを紹介します。

ベーマガ1988年4月号に載っていた裏技です。

 

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プロジェクトEGGで配信している「獣神ローガス for PC9801」を使用します。

まず、ゲームを起動したら、Ctrl+Cキーを連打して、バッチファイルを停止させます。

 

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「DIR」コマンドでファイル一覧が表示されます。

TTL.EXE」はタイトル表示の実行プログラム。

「INTRO.DOC」はタイトル表示中のテキスト。

「ENDING.DOC」にはエンディングのテキスト。

「SPT.HLP」は操作説明のテキスト。「TYPE SPT.HLP」で表示できます。「蒼き流星SPTレイズナー」を意識したネーミングでしょうか。

「SPT.EXE」は本編の実行ファイル。

タイムスタンプを見ると、1987年12月11日あたりにゲームが完成したものと思われます。

「PLAY.EXE」はサウンド再生の実行ファイル。「PLAY VOICE SPT.MSC」を実行するとサウンドテストモードに入ります。1~12番がBGM、13番以降が効果音です。最近になって知りましたが、C.MOSさんが作った曲も多数含まれています。

 

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サウンドテストモードがもう一つあります。「PLAY VOICE ANIME.MSC」を実行すると、ラピュタレイズナーガンダムなどのBGMを聴くことができます。見事なアニメオタクぶり。Memolっていうのは、とんがり帽子のメモルでしょうか。Yuukiの元ネタが不明。

 

「獣神ローガス」の作者、C.MOS(兵藤嘉彦)さんとは一体、、、

と思ったら、My History - c.mosに、知りたいことがほぼ全て載っていました。

以下、補足的な情報です。

 

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雑誌「ASCII」1982年5月号より。

C.MOSさんが投稿した「中日-巨人戦」という野球のシミュレーションゲームです。2人の対戦も可能。本ソフトはTAPE ASCIIでも販売されました(3500円)。ゲームの対応機種は日立のベーシックマスターLEVEL3(MB-6890)。「LEVEL3」や「L3」と呼ばれていました。

記事にはC.MOSさんの近況が載っています。日立製のアセンブラが使いにくいから自作しているとか、LEVEL3用の「ギャラクシアン」を作りたいとか、などなど。

当時、「ギャラクシアン」はプログラマにとって目標となる作品でした。著作権の意識が薄かったので、雑誌には様々な「ギャラクシアン」が投稿されました。

(参考資料:http://io40th.kohgakusha.co.jp/2017/09/3440io40.html

・「I/O」 1980年9月号:芸夢狂人さん作、PC-8001用「ギャラクシアン」。

・「I/O」 1981年1月号:芸夢狂人さん作、PC-8001+PCG用「PCGギャラクシアン」。これはHAL研とは別モノですよね。

・「I/O」 1982年5月号 :COMPAC O.Hさん作、FM-8用「ギャラクシアンYAMAUCHIの秘密」。YAMAUCHIというのは、FM-8の開発者が仕込んだ隠しコマンド。

・「I/O」 1982年9月号:速水 祐(柏木隆良)さん作、LEVEL3用「GALAXY FLY」。C.MOSさんが野望を抱いていた「LEVEL3用ギャラクシアン」で先を越されてしまいました。C.MOSさんは速水さんと同じマイコンクラブの出身。「蘇るPC-9801伝説(2004年)」によると、C.MOSさんがPC-9801に目覚めたのは、速水さんの家で見た98用ゲームがきっかけだそうです。

 

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「ASCII」1982年8月号より。

C.MOSさんが投稿したLEVEL3用の統合開発環境「MIGHTY-3」です。

プログラムの入力、アセンブル、ダンプ、実行、逆アセンブル、ロード、セーブ、ブレークポイントの設定、印刷まで1本のソフトでできます。なぜこんな凄いのが作れてしまうのか。

 

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書籍「だからいまマイコン(1981年)」より。

1981年始めの御三家マイコンというと「MZ-80」「PC-8001」「LEVEL3」でした。LEVEL3は美麗グラフィックが売りでしたが、おそらく3番人気。そこに、富士通の「FM-8(FUJITSU MICRO 8)」が衝撃的にデビューします。1981年の末にはNECPC-8801を発売しますが、ブレイクするのは先の話になります。

 

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漫画「こんにちはマイコン(1982年)」より。

1981年11月にNECは「PC-6001」を発売。1981年12月に日立は「ベーシックマスターJr.」を発売。

この他、「こんにちはマイコン」には「JR-100」「ZX81」「ぴゅう太」「VIC-1001」「MZ-1200」「PHC-25」「HC-20」「FP-1000」「TRS-80 model1」が紹介されています。

混沌とした1982年のパソコン業界。ハードの高機能化・低価格化が止まりません。この年の始め、LEVEL3は価格を29万8000円→19万8000円に値下げしました。

こうした状況の中、I/O編集部主催(後援は日立家電販売)による「ベーシックマスター・プログラム・コンテスト」が開催されました。ユーザーで盛り上げようという発想がX68000芸術祭(1991~1992年)を彷彿とさせます。

コンテストの告知は「I/O」1982年9月号に掲載されました。カラーページで気合が入っています。参加対象はLEVEL3とJr.ユーザー。応募の締め切りは1982年9月25日。

コンテストの結果は「I/O」1982年11月号(10月25日発売)に掲載されました。大まかな賞は以下の通りです。

・ベーシックマスターLEVEL3部門(特選5名+審査員特別賞6名):賞品は「16ビットカード」。
・ベーシックマスターJr.部門(特選10名):賞品は「拡張RAM64K」。
・入選(100名):賞品は「ベーシックマスターJr.トレーナー」。

このコンテストは「最優秀賞」がありません。「入選」のワクが多くて、日立の気前の良さがうかがえます。賞品は自社製の周辺機器やグッズでした。「トレーナー(服)」って、一体、どんな図柄だったのか?

コンテストの応募総数は不明です。最低でも121作品。約1カ月で審査員がこれ全部を見るのは大変だったと思います。当初、LEVEL3部門は5名ぶんしか特選が無かったのですが、特別賞扱いで6名追加しています。

受賞者の一覧に、Jr.部門にベーマガでおなじみの森巧尚さんのお名前がありました。あと、I/Oに掲載済みの「GALAXY FLY」がLEVEL3部門の特別賞に入っていたりします。

 

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書籍「I/O別冊 ベーシックマスターLEVEL3,Jr. 活用研究(1982年12月発行)」より。

略して「ベーシックマスター活用研究」。この本には、コンテストの入選作品が30作品以上掲載されています。記念碑的な豪華本です(2500円)。

LEVEL3部門の特選の一つとして、C.MOSさんの「デストロイ・エイリアン」が載っています。本作は見た目が完全に「ギャラクシアン」ですが、自機のダメージ回復機能があったり、シールド機能があったり、独自のアレンジが加えられています。最優秀賞と言っていい出来栄え。

記事によると、開発期間は約1か月。開発には「MIGHTY-3」を使用。効率化を図るため、データレコーダーを1200ボーに改造したそうです。

 

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雑誌「PiO」1985年5月号より。

My History - c.mosによると、1984年4月、C.MOSさんは日立に就職して、最新モデル「S1(MB-S1)」の開発チームに参加します。ベーシックマスターが好きすぎて、その会社に入ってしまうという、C.MOSさんの本気ぶり。

S1はLEVEL3の互換モードを搭載した、ベーシックマスターの直系です。発売直後は実行速度と1MBのメモリ空間をアピールしてました。1985年当時、S1はパソコン通信に力を入れていて、ユーザー用のBBSを提供していました。1200bpsのモデムが79800円でした。

日立に在籍中、C.MOSさんは「EZ(イーズィーと読むらしい)」というPC-9801用のエディタを開発しました。「EDLIN」のようなラインエディタと区別するため、スクリーンエディタと呼んだりします。

C.MOSさんは1986年3月に日立を退社。

 

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季刊「98ワールド No.1(1987年3月31日発行)」より。

1987年には、EZを「EZ Editor」として販売します。

 

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ちなみにベーマガにおけるS1の広告は1986年10月号が最後。H50の広告(工藤夕貴さん)は1987年2月号が最後です。

しばらくして、1987年7月号にMSX2機の「H70」の広告が載っています。日立家電販売製パソコンの歴史はこのあたりで終わったと思います。

 

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雑誌「コンプティーク」1987年4月号より。

ここにプロトタイプ版「獣神ローガス」が載っていました。かなりレアな記事。これを書いたのが、山下章さんです。当時の山下さんはパソコンサンデーに出演したり、チャレアベ本を執筆したり、サイン会で全国を駆け回ったり、同人誌作ったり、ベーマガの連載を抱えていたと思うのですが、まさか、コンプティークでもお仕事していたとは。

開発途中なので、ストーリーとドット絵しか誌面に載っていません。その内容を引用します、、、

宇宙歴00521---それまで銀河系の3分の2を統合していた連盟は今、存亡の危機に立たされていた。

(中略)

小さな反乱軍が、なぜに連盟をここまで追い詰められたのか? その背後には、銀河系中心部の道の空域より太古の昔から全宇宙を支配せんとするいにしえの古き神々”リグル”とその大神”ローガス”があった。反乱軍は永き眠りについていた彼らを呼びさまし味方につけたのであった。

(中略)

そこには、リグルがつくり上げた最新型多目的機動メカ「ザガード」がある。それさえ、手に入れば……そして、彼はたどりついた。それは彼の永く困難な旅の幕開けだった。

、、、製品版と全く違います。「反乱軍」と「ザガード」だけ同じ。

プロトタイプ版だと神様の名前が「ローガス」でした。そういうラスボスが出る予定だったのでは?

 

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コンプティーク」1987年4月号より。製品版と全く違い、「リグラス」っぽいです。この段階で森田和郎さんはどこまで関わっていたのでしょうか?

ゲーム内容は「横スクロール型のスーパーマリオっぽい感じのアクションゲーム」とのこと。この絵柄でスーパーマリオ風って画面が想像できません。

My History - c.mosによると、C.MOSさんがアーテックへ入社したのが1987年4月。なので、この記事の約1か月後、プロトタイプ版を捨てて、ゼロから作り直したということになります。完成するのは、それから約7か月後。「ミネルバトンサーガ(1987年10月)」のエンディングにC.MOSさんのお名前があるので、並行して作業されていたと思います。

 

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ベーマガ1988年6月号より。

画面写真ありバージョンの「獣神ローガス」の広告です。広告はベーマガで1年ほど掲載されたのですが(1986年12月号~1987年11月号)、6か月ほどのブランクがあり、このバージョンが1回だけ掲載されました。

広告には「X1シリーズ、PC-8801FM-7/77/AV、MSX移植中」と書かれていますが、これは実現しません。

 

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この空白期間中、ローガスの広告は雑誌「ログイン」に載っていました。最後となった1988年6月号はベーマガだけに広告が載っていて、ログインには載っていません。想像ですが、予算の都合で、片方にしか広告を出せなかったのではないでしょうか。

ベーマガの巻末にはランダムハウス(森田和郎さんの会社)の「RANDOM POST」というコーナーが連載してました。1988年1月号で森田さんからアーテックの山口祐平さんにバトンタッチします。1988年3月号から「RANDOM POST」のお便りの宛先がアーテックの住所となります。以後は「ディガンの魔石」に全力投球です。察するに、1988年2月ごろから、アーテックが完全に独立したと思います。ベーマガ1988年6月号で「RANDOM POST」が最終回。7月号から「Artec Trend(初回だけTrend Space)」が始まります。

C.MOSさんは1988年3月にアーテックを辞めていました。辞めた後も「ディガンの魔石」を手伝ったみたいです。

 

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ちなみに「蘇るPC-8801伝説(2006年)」に森田和郎さんのインタビューが載っています。「ミネルバトンサーガ」では、かなりの部分のプログラムを森田さんが組んだと語っています。記事内では「リグラス」のシナリオ担当として山口祐平さんのお名前が一回だけ登場します。「獣神ローガス」がどういう存在なのか、結局わかりませんでした。

ランダムハウスの昭和の業績 を見ると、「獣神ローガス」はランダムハウスが開発したという認識のようです。

 

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ベーマガ1990年4月号より。

ベーマガだと「VZ Editor」がどこにも載っていなくて、やっと見つけたのがコレ(NOVA情報機器の広告)です。

1989年に「VZ Editor」が発売されました。本ソフトは「EZ Editor」の改良版です。DOSの普及によって、エディタの需要が高まっていきました。まさに時代が追い付いたという感じです。

VZ Editor」はパソコン通信からユーザーの意見を集めることで、性能を高めていました。そして、1万円弱で買えるという強みがあります(「MIFES」が4万円近くする)。わざわざお金を出してエディタを買うというのは、今だとカルチャーショックかもしれません。

長くなりましたが、天才プログラマが「獣神ローガス」を作ったということがわかったかと思います。

 

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