1996年4月12日発売。プレステ用ゲーム「リング オブ サイアス」を遊んでみました。
開発はアテナ。CEROマークが無かった時代の作品。
広告はベーマガに計3回掲載されました。
コンセプトとシナリオを手塚一郎さんが担当。こうして、ライターさんが実際にゲームを作るというのは、素晴らしい試みです。遊んでみれば、その主張が正しいどうかが一発でわかります。
ベーマガ1996年3月号~4月号では、「シナリオ・ライターからの特別寄稿 リング オブ サイアス開発手記」と題して、手塚一郎さんが本作を2回に渡って紹介しています。前半は次のような感じです。
ゲームというものは、果たしてこのままでいいのだろうか。
(中略)
そこで、ゲームを創ることになったのです。
(中略)
これまでにさまざまなところで述べてきた、ゲームに対する自分の発言に、責任をとらなければならないからです。
、、、この「自分の発言」というのは、一体何なのでしょうか?
ゲーム本編はこんな感じ。海外小説の翻訳風なのが渋い。
メニューに答えると、ストーリーが分岐します。先の展開を選ぶという斬新な試み。
スペインで撮影した写真がたくさん出てくるのが見どころ。このスペインロケという方法論は、あの山下さん&大堀さんのドラクエIV予想を連想します。
メニューを20回くらい選択すると、エンディングです。プレイ時間はだいだい1時間くらい。
正解も不正解もありません。ゲームになっていない。開発手記によると、本作は"デジタル小説の新形態「ディレクション・ノベル」"とのこと。執筆したテキストは400字詰め原稿用紙で4000枚分。
11回ほどクリアしてみて、1、18、21、24、25、29、35、38、44という番号が出てきました。マルチエンディングの通し番号です。バラけるように頑張っても、2回同じ番号が出ました。全部のエンディングを出すのは、かなり難しいと思います。
システム的な不満がいくつか。目当ての分岐まで戻るということができません。最初から遊び直すと、同じテキストを読むはめになります。早送りもスキップもありません。
ベーマガ1996年5月号で、また「リング オブ サイアス」を紹介。「テキストAVGの傑作」と絶賛のコメント。
ベーマガ1996年7月号でも、またまた「リング オブ サイアス」を紹介。「コーナー名の誇りにかけてオススメします」と絶賛のコメント。
この記事で「おまけ」の存在が明かされています。
確認してみました。ゲームを10回クリアすると、メニューに「おまけ1」が追加されます。この感じからすると、「おまけ4」くらいまでありそうな、、、。
あと、「覇王マガジン」1996年8月号の「王立ゲーム大学」の第1回目に、手塚一郎さんのインタビューが載っています。見出しは大きく「70点の佳作より50点の意欲作」。グラフィックはホリー・ワーバートンの写真をイメージしているとか、企画がスタートしたきっかけは「夜光虫」の続編のシナリオを依頼されたことだったとか、重要な情報が語られています。
余談ですが、「王立ゲーム大学」の第3回目(最終回)は古代祐三さんでした。「覇王マガジン」は13回だけ出て休刊しています。
ベーマガにおける手塚一郎さんの偉大な業績をダイジェストで紹介します。
1984年、見城こうじさんと手塚一郎さんは同人誌「BGM」を編集部に売り込んだのをきっかけに、ライターとしてデビューします。
ベーマガ1984年8月号(スーパーソフトマガジン)の「ペーパーアドベンチャーコーナー」でお名前を確認することができます。「ペーパーアドベンチャー」は読者投稿に切り替わりましたが、「(C)手塚一郎」の文字は長く残り続けました。
1985年10月には「ALL ABOUT namco(ナムコゲームのすべて)」が大ヒット。手塚一郎さんは「ディグダグ」「ポールポジションII」「ドルアーガの塔」「ドラゴンバスター」などを担当。単独では「ドラゴンバスターの本(The Book of Dragon Buster)」も出されています(1987年1月24日発売)。
「ユーズド・ゲームズ Vol.12 1999年・秋号」の特集(5インチディスクは永遠に)では、手塚一郎さんが1ページ寄稿しています。それによると、「ALL ABOUT namco」の原稿料でPC-8801mkIISRを購入、パソコンRPGの魅力に目覚めたとのこと。この記事の中では「ファンタジー」シリーズを大々的に推しています。
ベーマガ1986年5月号より。ファミコン版「グラディウス」のレポート記事。出来栄えを絶賛しつつも、ボスが少々ダサいとか、オプションが2つしか装備できないとか、上下スクロールがないとか、ツッコミ多数。すでに物言うライターとしての頭角を現しています。
ベーマガ1986年7月号より。「チャレンジ!ロールプレイング・ゲーム」の「ドラゴンクエスト」の紹介記事。
ファミコン初の非リアルタイム・バトルモードを持ったゲームということで、ボクは非常に注目している。リアルタイムゲームが主流なかで、はたしてユーザーに受け入れられるだろうか? もしこれが受け入れられてRPGのおもしろさがわかってもらえたとしたら、さらに多くのRPGが発売されるだろう。
1986年当時、ファミコンのRPGは未開拓のジャンルでした。結果がどうなったのかはご存知の通りです。
ベーマガ1987年1月号より。「ファンタジー通信(ファン通)」を連載開始。
RPG(とくにファンタジー関係)のおもしろさを、もっと簡単に、そして楽しく理解できるような資料(小説、漫画、映画、ビデオなど)を紹介するページを(勝手に)作ってみた。
ファン通は、実際は趣味全開なコーナーです。「天使の卵」のオチを写真入りでネタバレしたり(1987年9月号)。ハガキによるTRPG(1988年1月号~)や、リレー小説(1990年4月号~)など、実験的な試みもありました。
お勧め本が「プロレスに捧げるバラード」だったり(1990年12月号)、ファンタジーから逸脱したこともありました。
年々、巨大化するファミコン市場。パソコン雑誌であるベーマガとは温度差が生じてしまいます。
1988年、JICC(宝島社)の「ファミコン必勝本」で「ウィザードリィ」の小説が連載されました。著者はベニー松山さん。これに続き、手塚一郎さんも小説家デビューを果たします。
(追記2022/10/10)1989年、「ファミコン必勝本」Vol.3~11に小説「最後の竜に捧げる歌」連載。オリジナル作品です。1989年7月20日、単行本発行。
1990年になると、「ファミコン必勝本」における小説や漫画は毎号4~5本に拡大。コーナー名は「FANTASY LAND」でした。このノベライズ/コミカライズのブームは一体何だったのか、よくわかりません。「ウィザードリィ」はプレイヤーの想像力を特に刺激するゲーム。そこから、ストーリーの需要が生じたのかもしれません。
1987年頃、JICCはパソコンゲームを題材としたゲームブックを手掛けていました(アドベンチャーノベルス)。作品群は「カーマイン」「帝王の涙」「アステカ」「ウィル」「ザ・スクリーマー」「夢幻の心臓II」「ウルティマI~IV」など。活字化するマーケットは当時からあったと思われます。
「ファン通の別冊」についても紹介しておきます。
・1987年6月号「残りはいずれでるであろう「ファン通別冊」で書こうと思ってるんだ(リクエスト募集中!)」
・1987年11月号「この前、やっと入稿を開始しました。発売日は11月頃を目指してるのですが、遅筆なもんで……。」
・1988年1月号「ごめんなさい。ファン通別冊の発売日がまた少し延期します。」
・1988年5月号「5月発売が間に合うかどうか話題を呼んでいる。」
・1988年7月号「 えー、 5月発売予定だったファン通別冊は、まだ書店でみかけないことからもおわかりのように、もう少し遅れます。」「響あきらさんが、 6月中旬に留学のため渡米されます。(中略)別冊ができたら送ります。厳しい批評をお願いします。」
・1988年11月号「えーと、別冊の名称は「FANTASY & RPG」という少々韻を踏んだタイトルに決定しそうです。」
・1989年6月号「ファン通の別冊がすでに発売されていると勘ちがいされているかたもいるようでが、実は、まだ発売されていません。」
・1989年11月号「別冊発売近し!」
・1990年4月号「ファン通別冊のイラストはまだ受けつけているのですか」
、、、結局、別冊は幻に終わります。別冊を心待ちにしていた元読者さんにとって、「リング オブ サイアス」は最高のご褒美だと思います。
多忙のせいか、1991年あたりになると「ファンタジー通信」の制御が難しくなったと感じます。
1991年1月号~1991年3月号では、ファンタジーにおけるリアリティとか、「軽ファンタジー小説」に対しての読者からの意見を掲載。4~5月号が休載。1991年6月号で、なぜか「ロードス島戦記」への批判という話で再開します。休載が増え、1991年11月号で連載終了となりました。
ベーマガ1992年1月号の「FINAL STAGE」の手塚一郎さんのコメントは以下の通り。
今月もファン通をお休みすることになってしまいました。楽しみにしてくれていた人(いるかな?)本当にごめんなさい。
、、、あれから約30年が経過して、ファンタジーは変わったのでしょうか。マーケットは熟成。ジャンルは細分化しました。今でも「指輪物語」が映像化され、「ウイザードリィ」がSTEAMで売っていて、「ロードス島戦記」の新作が発表されています。この現象を見ると、根幹は変わってないという気がします。
ベーマガ1993年12月号より。手塚一郎さんによる「ルナティックドーン」の紹介記事。
受動的なゲームへの批判。ストーリー主導型RPGへの批判。映画コンプレックスへの批判。低レベルなアニメの批判。有名作品の二番煎じを出すメーカーへの批判など、気合の入った問題提起の数々。必見です。
ページの最後には「このゲームは“仕事”ではなかった。」との一文があります。すでに少数派となったパソコンRPG。それを応援するプレイヤーという立場で書かれています。これぞまさに、ベーマガイズム。
、、、もしかして、「リング オブ サイアス開発手記」における「自分の発言」というのは、これのことでしょうか。内容と照らし合わせると、いくつか合致します。
ストーリー性の否定。これをそのままの意味で受け取ると、ストーリー作家は失業です。「リング オブ サイアス」の場合、ストーリーの分岐を果てしなく増やすことで、解決を試みていますが、果たして成功しているのかどうか?
今現在、RPGはオープンワールドが主流となり、複数のストーリーが進行できるようになりました。といっても、受動的な要素はそのままです。もし、ストーリーを捨てると、最初期のRPGに逆戻りです。もっと別のアプローチはないのでしょうか。最新技術で「ティル・ナ・ノーグ」を作ったら、どうなるのか興味があります。